こちらの企画に便乗させていただく形で、ぼく自身が現時点で選ぶ100冊を挙げてみた。ご覧になればおわかりいただけるように、このリストには重要な作家というか「マスト」な作家がほとんど居ない。ドストエフスキーが辛うじて入るくらいで、あとは現代の作家がほとんどだ。それがぼくが行ってきた読書なのだから仕方がない、とぼくは失笑を買うのを覚悟の上で晒すことにした。
1. スティーブン・キング『スタンド・バイ・ミー』
この本がぼくが生まれて初めて「貪り読んだ」1冊だ。映画にもなったくらいだからキングのことを知らない人でも内容は掴めると思う。死体探しの旅を扱っていわゆる「イニシエーション」、大人になる過程をノスタルジックな筆で綴った、実に巧い1作。
2. 村上春樹『ノルウェイの森』
ぼくが今の時点で「もっともたくさん読み返した作品」として挙げるのがこれ。高校生の頃に10度ほど読み返したことを覚えている。ムダなページが1枚も存在しないその完璧な純愛小説としての巧さにハマってしまったのだった(少なくとも当時はそう思った)。
3. リルケ『マルテの手記』
大学生の頃に何度も読んだ。ぼくがこうした作品に惹かれてしまうのは子どもの頃が決して甘美ではなかったこと、むしろ生きづらくてどうしようもなかった地獄だったという事実も関係しているのかもしれない。リルケもまた生きづらい子どもだったのではないか。
4. 上野俊哉『シチュアシオン ポップの政治学』
上野俊哉の書くものにはいつも元気をもらっている。大学生の頃、まだ現代思想の「げ」の字もわかっていなかった頃、それでいてスミスやスタイル・カウンシルを聴く程度にはませていた生意気な若僧だった頃に触れた。彼のライフスタイルや批評眼はその後のぼくの指針の1つとなっている。
5. ポール・オースター『ムーン・パレス』
これもまた「巧い」ストーリーテリングが映える1冊。みずみずしい青年の一人称の語りを通して、彼が父親を発見するべく冒険を重ねるストーリーが伝わってくる。彼は最終的にアメリカそのものを横断するまでに成長する。彼の成長を味わうこととこの作品を読むことはシンクロする。
6. スティーヴ・エリクソン『ルビコン・ビーチ』
こちらもまた「巧い」。奇想天外・奇々怪々なストーリー展開を語る筆は、アメリカという国とは何かという問題を生々しく問うている。そういう問いが出てくる自分自身こそいったい何者なのか? という問いとセットで考えていきたい。
7. スティーヴン・ミルハウザー『三つの小さな王国』
こちらは一見するとアメリカらしくない、つまり繊細な筆致による時計職人の仕事の成果のような小説。こんなこともできるのが小説であり、あるいは人間に許された想像力というものなのかと読めば読むほど舌を巻いてしまう。
8. 村上龍『村上龍映画小説集』
もちろん『限りなく透明に近いブルー』も『コインロッカー・ベイビーズ』もいい。だが、彼の作品の中でもこの1冊は繊細さが光っており、実にメロウでメランコリック。だけど必ず元気をくれるし、映画を見たく「動かして」くれる。
9. 中上健次『十九歳の地図』
日本文学の至宝が若き日に残した1冊。若さゆえの未熟さや憎しみや含羞といったものが生々しく伝わってくる。この主人公たちからすれば今の私は立派に憎まれる存在になってしまったのだな、と思うとやるせなく感じることも確かである。それが時の流れというものなのだけれど。
10. 大江健三郎『大江健三郎自選短篇』
日本に生まれてきたことは幸せだ、とぼくが思うのは文字通り「怪物」的な才能を見せつけて常に第一線を走ってきたこの作家の、若き日の端正な1編から円熟した時期の1編までを閉じ込めたこの短編集を楽しめるからだ。悪文なようで彼の日本語は実に肉感的で美しいと判断する。
11. 池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』
この本を読めることも日本人に生まれてきたことの喜びを味わえる理由かもしれない。マジック・リアリズムの持つ魔性と「もののあわれ」を感じさせるエッセンスがこの作品の中で実に巧みに、スマートに融合させられる。ミステリのようでもありどこからでも堪能できる1作。
12. 池澤夏樹『海図と航海日誌』
同じ著者から2冊挙げるのは反則かも知れないが知ったこっちゃない。本を読むという営みがいったいどういう意味を持つのかこの本は教えてくれる。それはただ受動的に物語やコンテンツに浸るだけのものではなく、創造的な営為でもありうると教えてくれる1冊だと思った。
13. ヘルマン・ヘッセ『ヘッセからの手紙』
ヘルマン・ヘッセの小説はそんなに読んでいないのだけれど、大学生の頃この書簡集を読み漁ったことは自分の人間性を育てる上で大事なことだったと思う。自分とは何者かがわからなかったころ、その「不良少年」の元祖・パイオニア的なこの知識人の持つ人間性にずいぶん胸打たれた。
14. フランクル『夜と霧』
20代の右も左も分からなかった時期(就活に失敗したりしてさんざんな辛酸を嘗めた時期)、ぼくはこの本と出会い「いったいこの失敗を通してこの人生は何を与えてくれているのか」考えた。自分自身を大いなるものに預けて生きるという生き方……もちろんそれはリスクを伴うのだが。
15. 車谷長吉編『文士の意地』
車谷長吉の小説も、とりわけ『赤目四十八瀧心中未遂』ももちろんすばらしい。だが、彼が生涯掛けて万巻の書物を読み漁ったその経験から選ばれたこのアンソロジーはもっと評価に値する。ぼくも車谷長吉のような情熱を持ちたいと必死になってこの本を読んだ。自殺未遂した30代の時のことだ。
16. 神谷美恵子『生きがいについて』
「生きがい」とは、仕事とはなんだろう……と迷っていた時期がある。自分の今の仕事を一生のものとして生きるべきか、それともただ「食べるため」と割り切るべきか。自分が本当に情熱を燃やしてやりたいことがわからなかった時期、この本の高潔な思想に胸打たれたことを思い出せる。
17. 麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲』
推理小説というジャンルが持つ「密室殺人」の様式美を活かして、ミステリの世界に「麻耶雄嵩ここにあり」とその天才性を見せつけた1作。ぼくはミステリはあまり詳しくないのだけれど、この作品の幻想世界は好きでよく再読を介して訪れる。世界の破壊と再構築。
18. ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
実はこの名高い1冊を理解できたとは思えない。一度だけ「わかった」と思ったことがあるが、もちろんそれは錯覚というもの。世界について理知的に、いかなる曖昧さをも排した筆致で説明し尽くしたこの1冊はぼくに「哲学」の醍醐味を教えてくれた。
19. アイリス・チュウ&鄭仲嵐『Au オードリー・タン』
オードリー・タンの足取りを追うことは、台湾をそのまま知ることでもある。台湾の歴史はぼくが思っている以上に波乱を含んだものであることを恥ずかしながらぼくは知らなかった。その波乱が彼女のような天才を認めたのだから、この事実は日本人として何を学ぶべきなのか?
20. ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』
ブレイディみかこからはいつも「しぶとく」生きることを教わっている。確かに世の中は(いや、ひいては「人生」は)ろくなもんじゃない。だけど上を向き、見据えるべき敵を睨みつけて「ごまめの歯ぎしり」として日々の糧を得るべく働く(あるいは堂々とサボタージュする)!
21. ダニロ・キシュ『庭、灰』
池澤夏樹が編んだ世界文学全集はまだぜんぜん読めていないのだけれど、その中からこの作品が入った1冊を選びたい。ノスタルジア、そして死という現象の不条理。注意深く読めばこの作品を隅々まで満たす政治の影を感じられるし、それを描きとろうとした書き手の強い意志も理解できる。
22. 古井由吉『仮往生伝試文』
古井由吉の作品をすべて読んだわけではないけれど、彼が残した作品の中でもこれはとりわけ気に入って何度も読む。ドラッグも酒もなくても、ここに収められた日本語の響きだけでぼくは充分に異世界(もっと正確に言えば「冥途」かな)に行くことができる。
23. 山崎浩一『危険な文章講座』
山崎浩一の書くものを集中して読んでいた時期がある。彼を通してこの世界をユーモアを以て眺めること、シリアスでヒートアップしたものになりがちなぼくの想像力をうまく冷やすことを教わった。この文章読本を通して、ぼくも自分自身の視座の「ゆがみ」に自信を持てるようになった。
24. 夏目漱石『文鳥・夢十夜』
新潮文庫のこの短編集は「思い出す事など」も入っており、己がやがて死すべき定めにあることをまざまざと思い知った夏目漱石のその体験と内省を読むことができる。漱石は修羅場を潜った、ぼくらよりずっと大人びた人だったことがわかる。ならば彼の作品を読むにはぼくらは若々しすぎる?
25. 中島義道『孤独について』
中島義道の書くものからは「文人」の香りを感じる。もちろん彼はすぐれた哲学者であるが、同時に自分自身の生きづらさを鍛え上げてその中からぼくらの欺瞞を指摘する「戯作者」であるとも思うのだった。彼の自伝的なこの本は、十二分に「哲学」と「文学」を孕んだすぐれたものである。
26. ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミン・コレクション 3』
ベンヤミンの散文にイカれた時期がある。もちろん彼の思想は難解だが、同時にその筆致には魔性が確実に存在しているとも思う。彼の繊細な一人称で綴られる幼年期の思い出が詰まったこの1冊はぼくのオールタイム・ベストの中の1冊。わからなくても(いや「だからこそ」)浸れる。
27. 片岡義男『日本語の外へ』
片岡義男はこの本1冊を通して日本人論を書く。それは「日本スゴイ」ではないが、同時に「自虐史観」に染まったものでもない。1人の英語・日本語のバイリンガルである日本人として国内外を(読書や実人生を通して)軽やかに横断できる知性だからこそ語れるジャパノロジーだ。
28. 十河進『映画がなければ生きていけない 1999-2002』
十河進からはずっと「ライフスタイル」を教わってきた。ジャズを前よりももっと聴くようになったのも、プロ意識について考えるようになったのも彼の影響だ。映画や推理小説を語り尽くせる博覧強記ぶりと、それとは一見するとなじまない彼が見せる弱さの虜になってしまった。
29. 永井均『翔太と猫のインサイトの夏休み』
「哲学」というフィールドに感心を持ち始めた頃、永井均の仕事に触れるようになった。彼の思索は独特のねちっこさがあるのだが、寓話的・ジュブナイル小説的に語られるこの話は対話篇ということもあってかわかりやすく、哲学のイロハをていねいに教えてくれる。
30. 高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
このデビュー作を読み、ぼくは小説とはほんとうに「なんでもあり」なジャンルなのだなと思った。だがただ支離滅裂な話としては終わらず、きちんとストーリーを骨太な形で進行させているその手つきが鮮やかだったからこそ成立したアクロバティックな作品でもあると後に気づいた。
(つづく)