跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/01

今日は遅番だった。天気がよかったのでブルー・ナイルを聴きながらW・G・ゼーバルトアウステルリッツ』を読む。難解な文体だがこちらを読ませる真摯さを感じる。アウステルリッツという人物をめぐる、ユダヤ人迫害にまつわる20世紀の悲劇が描かれている。「まやかし」「間違い」という言葉が印象に残る。もちろんユダヤ人迫害が私たちが犯した「間違い」だったわけだが、そんな悲惨な過去の話もゼーバルトの筆にかかればどこか甘美で崇高なものとして現前するように感じられる。ひとりの人物の中にこんなにも豊穣な記憶が存在するのか、と舌を巻いた。

その後時間があったのでポール・オースター『闇の中の男』を読む。久しぶりにオースターの小説を読んだが、彼の作品が持つユーモラスというかコミカルな側面に唸らされる。9.11が存在しなかったアメリカを書いた歴史改変ものなのだけれど、彼の場合はレゴブロックを組み立てるように溢れ出たアイデアを器用に組み立てているのでよく言えばポップで読みやすい。悪く言えばそれだけこちらの心にしつこく残るものが存在しない。だが、こちらも『アウステルリッツ』同様記憶をもとに物語ることがテーマであるとも言える話なので読み比べる形になってしまった。

歴史や記憶を語り直す、というテーマで言えば例えばマルセル・プルースト失われた時を求めて』が思い浮かぶ。あるいはヴァルター・ベンヤミンの散文やリルケ『マルテの手記』。村上春樹も語り直すことをテーマに『ねじまき鳥クロニクル』を書いたのだった。他に好きな話で言えば奥泉光『グランド・ミステリー』が思い浮かぶ。もちろんスティーヴ・エリクソンも忘れてはいけない。またそうした、壮大な歴史小説を読み返すべきだろうかと思った。当面はもっとポール・オースターの近作を読み進めたいのだけれど。

ひとりの人間の中にどれだけ豊穣な物語が存在しうるのだろう。ダニロ・キシュやフェルナンド・ペソアの作品も、そうした「個人的な体験」としての歴史を描いたものとして思い出される。個人の中から語られる真率な歴史……平出隆『鳥を探しに』もそんな作品だ。彼らは自分自身の内面を掘り下げて愚直に自分と対話を重ねる。悪く言えば彼らは内向きすぎるのだ。だが、そんな風に「内向」を重ねることが普遍へと至る道へとつながる……これは古井由吉にも言えることだろう。自分の好みの小説はこんな「内向」していく作品たちなのだろうか、と思い至った。