跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/09

一夜明けて、今日は早番だった。いつものように仕事をする。昨日書いたように日々の生活をきちんと営むこと、自分自身を律することこそがこうした非常事態を生きる上で最善の手だと信じる。テロに屈しないように……私の仕事に意義があるとするなら、それは(誰の仕事にも言えることだと思うのだが)私が接する人々が日常生活を営む手助けをすること、彼らが平穏に生きるのを支えることではないかと思う。そう考えると、見失いがちな仕事へのモチベーションが生まれる。忌野清志郎の曲を歌いながら自分なりに最善を尽くした。

実を言うと、私の今の仕事は別段やりたいと思って始めたことではない。大学を卒業する際就職先が見つからず、それでカフカ言うところの「パンのための仕事」として食べるために始めたのだった。今でも自分の仕事が誰かの役に立っているという手応えを見失いそうになる。こんな仕事、誰でもできるじゃないか……そう思って腐っていた時もあった。今は、仕事が自分を鍛えているという手応えを感じる。仕事によって自分を律しているという……沖仲仕をしながら哲学を編んでいたエリック・ホッファーのようなストイックな生き方に少しは近づけているだろうか。

夕食を食べたあと、グループホーム世話人の方と少し話をする。彼女が佐藤泰志に関する評伝である中澤雄大『狂伝』を読んでいるのが私の興味を惹いた。佐藤泰志の本は読んだことがなかったのだった。ああ、この世には数多と面白い本がある。私が読めるのはほんのひと握り……今は安倍元総理の暗殺事件の余波で本を読めない状況だが、また読めるようになったらダグラス・ホフスタッターの本など読み進めたいと思う。おかしなものだ。どんな状況になっても私は本を読む。仕事と同じく、読書もまた私が自分を律する作業となっているのだろう。

夜、そうした安倍元総理の事件が心理的に堪えていたせいか食事を摂った後グーグー眠ってしまった。Twitterを見るとまだ暗殺事件でネットが揺れている。ある人が「安倍は死んで当然」と言っているのを読みげんなりする。私自身安倍に関して否定的な見方はしているが、相手もまた尊厳ある人間だという前提を忘れて命を軽々しく弄ぶ言動を重ねる人間はいかに思想信条が私と同じであろうとも信頼/尊敬できない。ゆえに、私は万年「愚鈍な左翼」(上野俊哉)として生きて死んでいくにしろラサール石井のような論者に対しては冷めた視点で接するつもりだ。