今日は早番だった。朝、久しぶりに藤原ヒロシの『Hiroshi Fujiwara In Dub Conference』を聴く。力強くそれでいてうるさく感じさせない上品なビートと、繊細なピアノの音色の組み合わせに陶然とする。初めて彼のこの作品に触れたのは私が大学生の頃のことだった。当時、彼の音楽を私は「渋谷系」の括りで堪能していた。つまり洗練された美しい都会生活を象徴するものとして。前にも書いたけれど、その都会生活は今私が住む宍粟市のど田舎の(失礼!)生活とはかけ離れたものであり、退屈さなんて感じる暇もない楽しい生活を示すものであると信じていた。今はぜんぜん違う考えを持っている。宍粟市に住んでいても藤原ヒロシの音楽が持つ普遍的/ユニバーサルな優美さは堪能できる。そして、宍粟市にも「愉快な仲間たち」は居て彼らと楽しい生活を過ごすことができる。日々、そのことを強く感じる。
前にも書いたことがあるかなと思うけれど、私は大学進学にあたって東京に、ましてや早稲田大学だなんてだいそれたところに行く気など欠片もなかった。だが、ひと足先に東京に住んでいた兄が「どうせなら東京に来てみないか」と薦めたので、なら一度は東京の地を踏んでみるのもいいだろうと思って早稲田を受けたのである。「記念受験」というやつだ。そしたら受かってしまってしまったので通うようになった。人から見ればそれは羨望の対象になるのかもしれないが、その渦中を生きていた私にしてみれば何もいいことなんてなかったとしか言いようがない。東京生活は地下鉄の乗り換えにいつも混乱したし、隣人との付き合いもどうしていいかわからなかったし大学生活ではあらゆる手続きを自分でやらなければならず、4年で卒業できたことはまさに奇跡だとも思ってしまう。今思い出してみても当時のことなんて遠い夢の出来事のようにしか思い出せないので、つらい日々だったのだなと思ってしまう。
だが、そんな早稲田生活の恩恵を確実に受けられたなと思うことのひとつは当時大学のパソコンを使ってインターネットに触れられたことだ。私は中学生の頃から佐野元春のファンだったので彼がいち早くネットでの発信やファンとの交流を試みていることを知り、私も大学のメールアドレスを取得してネットを使い始めたのだった……それから思えば30年ほど経つわけか。ネットで見苦しい喧嘩やフレーミングを経験したこともあるし、匿名掲示板で槍玉に挙げられたこともあった。私自身、いかにしてネットで名を売るか汲々とした時期もある。一歩間違えれば成田悠輔のような炎上を経験していたとも思う。やれやれ、今日は昔話の日らしい。ともあれ、そんな不真面目な「ワセダマン」だった私であり早慶戦にも行かず一度も校歌を歌ったこともない不届き者なわけだけれど、それでも早稲田で学んだことや体得したことは今の自分を形作っているとも言えるのかなと思った。
夜、来月私がプレゼンを行うミーティングのためにロバート・ハリス『アフォリズム』を読み進める。アフォリズムとは警句・箴言のことだ。といっても難解なものではなく、その人の思想や生活を支える短い言葉の謂であると言えばわかりやすくなるだろうか。身近な例で言えば明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」がこのアフォリズムにあてはまる。私自身の座右の銘というか、好きなアフォリズムはこの本に収録されているアイザック・バシェヴィス・シンガーという作家の「人生は神の小説である。神に書かせなさい」というものだ。私の人生を振り返ってみても、上に書いたような早稲田に入った経緯が示す通り私個人の能力を超えたところでいつも出来事は決まってきたことを思い出せる。今の仕事にしたって「半年続けてみなさい」と言われて社会復帰のつもりで始めたものだ。断酒だって偏頭痛で酒が止まったのでそのまま止めたのだし、英語学習も「成り行き」の要素が強い。そう思えば、常に自分は流されて生きてきたのだなと思う。流れ流れて……これから神様は私の人生をどう書くのだろう。意外と間近にソウルメイトとの出会いがあったりするのだろうか?