朝、clubhouseでシンディさんが開いたルームに入る。そこで「自信を持って英語で話すにはどうしたらいいか」を学ぶ。声のトーンや大きさについて学び、そこから話は心構えについてにまで至る。私は出川イングリッシュについて話した。出川哲朗の英語は確かに稚拙ではあるが、彼は確かな熱意とフレンドシップを以て相手に自分の思っていることを伝えようとする。その前向きに試行錯誤を繰り返す姿勢は充分彼の自信を伺わせるものであり、相手もその熱意を汲み取ろうと思わせるのではないか。私は出川哲朗のそんな熱意/情熱を皮肉抜きで見習わなければならない。これを読む方も、一度は彼の英語に触れて損はないと思う。
午後に私はそのclubhouseで自分のルームを開いた。今回も、ヤネさんが参加して下さったおかげで自分のことを話すことができた。宍粟市国際交流協会の方々と出会い、そこから英会話教室に通い始めるようになったこと。発達障害を考えるミーティングで料理やその他のライフハックを学んだこと。そこから話は派生して、参加された方の面白いジョークや謎かけが披露されたりそれぞれが抱えている疾患(私の場合なら自閉症やアルコール依存症だ)をどう克服せんと前向きに生きているか、そんなことにまで話が及んだ。実にありがたい内容になったと思う。
私は早稲田の英文科を出たが、それは私にとって自信をもたらすものとしては働かなかった。今考えれば至極当然のことだったと思う。自分の「外」に何を達成したかということは、必ずしも自信にはつながらない。それよりむしろ、自分自身のコアを受け容れて愛することができれば自信につながるのではないか。私の場合、早稲田に囚われず哲学と文学を好む自分自身を見据えて愛することを多くの人々との交流で学んだ。そこから自分を愛し、人生を始めることができるようになったのだと思う。そうすると不思議といろいろな人が集まってくる。今日のルームも、そうした自信がもたらした奇跡的なチャンスとなったと思った。
夜、断酒会に行く。その後橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』を読む。ウィトゲンシュタインの人生と哲学をこの上なく平たく整理した本で、そのホットな筆致に惹かれる。私たちは自分の思考を言葉によって紡ぐ。ということは言葉というシステマティックなものから逃れられないということになる。ある価値観に囚われ、そこから抜け出せないという事実。それはそのまま、個々人が自分だけの「言語ゲーム」の中に囚われてそうした限界を超越する視点を持ちえない、そんな「現在」を的確に射抜いた概念であると思った。ゆえに私もこの本から、「自分の思考の限界」を見極める姿勢を学ばなければならない、と。
※こんな記事を見つけた。なかなか面白い。「なぜインターネット上では常に誤解が生まれるのか?言語の限界について - GIGAZINE」
https://gigazine.net/news/20150902-problems-of-translating-language/gigazine.net