跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/20

川本三郎『現代映画、その歩むところに心せよ』という本を読んでいる。映画のレヴューを集めたものなのだが、川本三郎の良心的な思想が伝わってくる。彼はわかりやすいアジテーションをしない。読み手を扇動して誘導するようなことを書かない。だが、その眼差しは確実に現代に生きる弱者を捉え、この世界の不条理を捉えている。私は川本の『マイ・バック・ページ』をまだ読んだことがないので、彼のルーツを知ることができるこの本も読んだ方がいいのだろうなと思った。私もまた、こんな風に映画を観たいと思わせられた。

私が生まれ育った町には映画館がない。レンタルビデオ店は前まであったのだが、それも潰れてしまった。なので映画を気軽に観られる環境にないのだった。私の映画に関する無知はそのあたりから来ている。加えて、高校生の頃に金井美恵子のエッセイを読んでいて映画に関する無知を腐すその筆致に腹を立ててしまい「なら、自分は映画なんて観るものか」と思ってしまったことも一因としてある。おかげで、90年代にあんなに映画が面白かった時代に私は音楽ばかり聴いて過ごしてしまった。ああ、アホだったなあ、と今なら言える。

そして40になり、私もいつまでも若いつもりではいられないなと思っていた矢先に『エレキング』という音楽雑誌を読んだ。そこで音楽ライターが積極的に映画について発言しているのを読み、「最先端で仕事をする人たちは映画もフォローしているのだな」と感心させられたのだった。それで私も遅まきながら映画をフォローしたいと思い、ずいぶん頑張って映画を観た。とはいえ、「付け焼き刃」の知識なので威張れたものではない。ただ、映画を観る楽しみを身体で体得できたかなとは思っている。2時間なら2時間の映画の呼吸を身体でつかんだようだ。

川本三郎を読み十河進を読み、映画について日々学び……もちろん映画だけではなく音楽も文学も、自分はまだまだ知らないことが数多とある。知らないことを掘り下げて学び続ける、この運動自体が生きることなのかな、と思うようになった(確かココ・シャネルも同じようなことを言っていたはずだ)。ひとつのところにとどまり続けていることは許されない。「転石苔を生ぜず」と言う。私が何だかんだいって引きこもったりせずに働いたり楽しんだりし続けているのもその私なりの、堀江貴文言うところの「多動力」の習性故なのだと思う(むろん、引きこもりが絶対悪などとは言わないが)。