跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/10

今日は休みだった。午前中、イオンに行き『ル・クレジオ 映画を語る』を読む。ル・クレジオの書く文章は瑞々しい。彼の知性はしなやかに全てを受容し、そして肯定する(その肯定のあり方において池澤夏樹に似ていると思った)。小津や溝口に代表される日本映画、そしてフランス映画に韓国映画などなど各国の映画を楽しんでいる書き手の知性に触れて、私も映画をまた観たくなった。『物質的恍惚』でもこの書き手は「ミゾグチ」の映画に触れてその美を語っていたことを思い出す。私は実を言うと溝口は『雨月物語』しか観てないのだけれど。

昼、時間があって本を読もうかと思ったのだけれど活字が頭に入らない。ので諦めてネットフリックスのオリジナル・ドキュメンタリー『アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』を観始めた。アンディ・ウォーホルの日記『ウォーホル日記』をベースに彼に肉薄したドキュメンタリーのようだ。私は実を言うと『ウォーホル日記』を一度通読したことがある。といっても、これは決して威張れた読書ではない。私自身がそんな本を読むモノ好きであったというだけの話だ。読んでタメになる本ではありえない、ただ固有名詞が乱舞する天才芸術家の地味で単調な日常を綴ったものだったのだから。

アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』は全6話で成り立っているのだけれど、とりあえず第2話まで観た。その後『ウォーホル日記』をパラパラ読み返す。アンディ・ウォーホルという人はしかしわからない。私は美術はからっきしわからないのだけれど、彼は強烈なエゴを持つ天才肌の造り手というわけではないようなのだ。むしろ実にセンシティブに状況を受け取りながらその状況を見極め、冷徹に活動する。その冷徹さ、控え目さが印象的だった。このドキュメンタリー、これからどう展開するのか楽しみだ。『ウォーホル日記』も読めるようなら読んでいきたい。

夜、時間があったので川本三郎のエッセイを読む。川本三郎の落ち着いた筆致に触れ、彼の博識に唸らされる。川本三郎に倣って私も再び荷風の日記や未だ読んだことのない谷崎潤一郎細雪』を読んでみようか(前にも書いたけれど)。新しい文学や映画に関心が向かず、Twitterで話題になっているようなトピックも我関せずでここ最近は過ごしている。聴く音楽もセロニアス・モンクソニー・ロリンズといったミュージシャンのジャズが主になってしまった。趣味においてこんな風に「若隠居」になるのはどうかなと思う自分も居るのだけれど……最近文庫版で出たジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』を読んでみようかな。何か新しい発見があるかもしれない。