跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/07

BGM: U2 "Stay(Faraway, So Close!)"

Midjourneyというサービスについて調べた。これは人工知能に英語を入力することで絵を生成するというものらしい。25枚まで無料で描けるということなので私も遊び心で絵を作ってみた。ゴリラズというイギリスのアーティストのアルバムのジャケットを模したものを描いてみた(というより描かせてみた)つもりなのだけれど、似ているだろうか。それにしても面白い時代になったものだ。私は絵画の世界にそう詳しくないのだけれど、将来「アンディ・ウォーホル風に描いた浅野忠信」や「岡崎京子風に描いたスカーレット・ヨハンソンの絵」なども5分もしないうちに描けてしまうのかもしれない。

朝、英語研究会の集いに参加する。そこで2009年に行われたというバラク・オバマの演説を輪読した。これはなかなか手強かった。学校で学生たちを相手に行った演説なのでそう難しい表現が出てきたわけではないのだけれど、いざそれを原語に忠実に「読む」のではなく「翻訳」するとなるとこちらが曖昧に読んでいた言葉まで忠実に日本語に置き換えなくなり、いい加減に読み流していたこちらの怠惰が浮き彫りになってしまう。おかげで恥をかいた瞬間もあったが、しかしこの輪読からそうした翻訳の怖さを学べたことは大きかった。

昼、Yahoo!のトップページで青木新門氏の死を知る。氏の『納棺夫日記』は興味深く読んだ。死者に最も近く肉迫した立場から彼らの身を清め、そして冥途へと送り出す仕事である納棺夫について生々しく、また崇高に綴ったこの書物は末永く読みつがれると信じる。この書物から生まれた映画『おくりびと』も興味深かった。私自身、自分が為している仕事に関して意識が腐ることもある。だが青木新門氏に倣って心を込めて仕事をこなすことは確実に相手(あるいは誰か)の心を動かし、仕事内容を変え状況を変えうると信じる。実にすごい仕事を為した人だ。お話を聞かせていただきたかった。合掌。

夜、長田弘『なつかしい言葉』を読む。この詩人は曖昧な「間」に佇む人ではないかと思った。言葉になるものとならないものの「間」、定められたルールと不文律の「間」。悪く言えばどっちつかずな姿勢ということになるが、しかしその複眼的な視点こそこのエッセイ群を深いものにしていると思われる。長田弘の詩は図書館で『長田弘全詩集』を借りて読んだことがあるが、詩においても「間」に立つこと、あるいは饒舌に言葉を尽くして詩を書くのではなく沈黙/無音を活かし音を響かせる姿勢が印象的に感じられた。私は詩はわからないが、この詩人の詩は好きだ。ただ言語実験というわけではなく本当にプリミティブな詩なのであまりウケはよくないかもしれない。