跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/11/16

年末が近づいている。この季節になると、私は過去のことを思い出す。30代、まだまだ人生これからという時期、私は職場で年末進行の多忙さに追い詰められ、職場で上司が私のあまりのトロさにキレたことをきっかけに自殺未遂をしたのだった(いやらしい言い方になるが、本当に死ぬつもりはなかった。ただもう、なにもかもが嫌になったのだ)。それで年末年始を休ませてもらったのだけれど、その間ずっと酒に溺れて呑んだくれていた。もう、自分の人生はここで終わった。死んだほうがマシだった、生まれてこなければよかった、と思ったのだった……。

その間も読書はしていたのだが、車谷長吉というこの播州の地ゆかりの作家が編んだ『文士の意地』というアンソロジーを読んだことを思い出す。車谷長吉という作家は好きで読んでいたのだけれど、そのアンソロジーは人生の辛酸を嘗めた彼が折に触れて楽しんできた作家の作品を集めた、実に素晴らしいものだった。今思うに、私はこの人生は(この世界は、と言ってもいいかもしれない)生きるにはあまりにも苦しい、と思う。だが、文学があったから、色んな本を読んできたから、生きていられるのかなとも思うのだった。漱石が言うところの「牛のように」。

仕事をした。現実はいつも私をコントロールする。私は自由ではない。私は(スピノザ國分功一郎的な言い方になるが)仕事でたくさんのタスクを求められて、それをこなさなければならない。裏返せばそのタスクをこなす限りにおいて私は自由であるともいえる。どんな風にこのタスクをこなすか? と考える限りにおいて。仕事の苦しみも醍醐味も、ここにあるように思う。従わなければならないのは常に他人が定めたタスクであり目標である。だが、その制限の中でこそ自分の自由を発揮できる。このパラドキシカルな事実。

私はいつも私生活では益体もないことを考えている。エッチなビデオだって見るし、金があれば働かなくて済むのにとも考える。一日中、親の遺産を食いつぶしながらのんべんだらりと生きたい……だが、どこかでそんな生き方を良しとしない自分も居る。呑んでもいいはずの酒を、しかし私は呑みたいとも思わない。発達障害のことだって考え続けたいし、本だって読みたい。それは多分、仕事の中でこそ主張できる自分が存在し、そこでこそ芽生える自分自身の人格があるからなのだろうな、とも思う。その人格とこの人格が地続きであること……到底今日記を書いているこの「のんべんだらり」な自分自身には信じられないが、それもまた自分である。