跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/25

BGM: COMPLEX "BE MY BABY"

今日は早番だった。いつも仕事前、不安に陥る。しょうもないことが心配になる。例えば今から5分後、自分が何を考えているかまったくわからないことが気になって怖くなる。フランツ・カフカは「ミルクのコップを口のところへ持ち上げるのさえ怖くなります。そのコップが目の前で砕け散り、破片が顔に飛んでくることも起きないとは限らないからです」という「絶望名言」を残しているが(頭木弘樹『絶望名人カフカの人生論』)、私も同じ不安に囚われてしまう。もし今日私が突然死んだら、今までの人生は何だったというのだろう? 私が今日死ぬことも、ありえない話ではないではないか。突然心臓が止まったりしたら……。

だが、帰るわけにもいかないので仕事を始める。すると、仕事の場では私の中の仕事人格とでも呼ぶべきものが現れる。普段、エッチな動画を漁ったり昼寝をキメた後まったりしたり、そうこうしてウダウダしている時間はその人格は眠っているのだけれど職場に行くと現れて、テキパキと仕事をこなしていく。私はと言えばその人格が話す言葉に従って(私はひとり言を言うくせがあるので、その人格が私の口を借りてひとり言を言うのだ)仕事を行うだけだ。典型的な二重人格ではないかと思う。不気味だろうと思うがそれが事実である。私の口から漏れるひとり言が、私の代わりにテキパキ判断してくれて仕事をしてくれているのだ。

その人格は私にとってもヒーロー的存在なので、私自身頼もしく感じる。その人格が私をどう考えているかはわからないのだけれど、乗っ取りを考えてはいないようだ。欲がないのかもしれない。いつも書いているが、やはりこれは私の中のプロ意識のなせる業だろうと思う。私という人間は思ったよりカッコいいのかもしれない。そして、Discordでチャットをしたり本を読んだり、こうして物事を書いている時もその人格は立ち上がっているのかもしれない。普段はまったくもってアホみたいなことやエッチなことしかしか考えないのに、「書く」時はそういう博愛主義者的な人格が立ち上がっている。私はそんなにグレイトな人間ではありえない、というのに。

というのであれば、私という人間はそういうパーク・マンサー的な女性絡みのドジばかりしている人格と、プロフェッショナルに書いたり仕事をしたりしている人格のアマルガムということになる。そんなことでいいのだろうか? 私は猥談はつとめて話さないようにしているので、必然的に他人は私の「外向き」の人格、つまりプロ意識に染まったクールな人格しか見ていないのではないかとも思っている。だが、では正直になって下ネタを披露して好きなAV女優の話をしたりするなどで露悪的に振る舞うことも何だか気が引ける。そんなことを悩んでいるのだけれど、多分他の人にはこの悩みはわからないかもしれない。いいのかなあ?