今日は職場で健康診断があった。過去のことを思い出す。呑んだくれていた頃、当然節制などできるわけもなく暴飲暴食に明け暮れ、医師から断酒を薦められても聞く耳を持たないまま過ごしていた……あの頃、私はいつ死んでもいいと思っていた。いつでも死ねる、もともと生まれてくる価値などなかったのだから、と……私は7月3日に生まれた。カフカと同じ誕生日だ。そのカフカは40で亡くなった。私も40で死ねたらいい、と本気で思っていた。それが天命に殉じるということだと。結局40を超えても生き延びてしまい、今年で47になろうとしている。
その40の歳に私は断酒に成功することができた。そして、発達障害を考えるミーティングの席で大事な人とめぐり逢い(一方通行ながら)恋に落ちた。40という歳は私にとって節目であるようだ。これもまた天命に殉じるということなのだろうと思う。今、私は20代・30代にできなかったことを取り戻そうとしている。あの頃目もくれなかった映画を今になって観たりして……今は、まだ死にたくないと思っている。大事な人と一緒に進めているプロジェクトを成功させたいし、大事な人を悲しませたくない。おかしな言い方になるが、私の人生は私ひとりのものではないと思うようにもなったのだった。
今日は英会話教室があった。飛行機で旅行する際のシミュレーションを行い、会話を組み立てる。私は旅行をする趣味がなく、海外に出かけたこともないのでフリートークで盛り上げられず苦労する。行けるとしたら香港や台湾に行きたいな、と思っている。金がなく、また予定を綿密に組み立てることもできないので(ホテルのブッキングや移動手段の確保、食事の調達などすべて自分でやらないといけない。旅行はそんな一大プロジェクトだと思う)結局何だかんだで出不精を貫いているのが正直なところなのだった。このまま海外の土地を踏まずに人生が終わっていくのか、と思う。
ルサンチマン、という言葉がある。ニーチェが唱えた概念らしい。強者に対する怨恨だそうだ。ということなら、私はすでにニーチェの哲学を生きていたわけだ。金や(下世話な言い方になるが)女性に恵まれた人に怨恨を燃やし、こんな不平等をもたらした日本の政治に憤りを抱き……今でもそんなネガティブな感情を感じたりもするが、しかしネガティブなりに日々を丁寧に生きていきたいと思っている。カッコつけた言い方になるが、こんな天命をそれに殉じて丁寧に生きることこそ私がこの人生で成し遂げられる「復讐」だと思っているからである。
毎日のささやかな思いを重ね
本当の言葉をつむいでる僕は
生命の熱をまっすぐに放つように
雪を払いはね上がる枝を見る
――小沢健二「天使たちのシーン」