跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/01/11 BGM: Cutemen - Love Deeep Inside

今日は遅番だった。朝、小坂井敏晶『神の亡霊』を少し読む。すこぶる刺激的な本だ。彼は、私たちは自分の死を選ぶことができると書いている。死にたければ死ねばいい、と。これは危険な議論だと思う。私は「死にたい」と願う人、死の自己決定を望む人に対して「死ねばいい」とは言えない。その自己決定をその人が後悔しないとは言い切れないからだ。生きていれば過去に下した決定を後悔することは山ほどある。間違いは誰もが犯しうる。それが人間の人生というものだ。ゆえに、死を望む人に向けられるべきは別の言葉だとも思った。こうした議論に私を差し向けてくれたという意味で、皮肉など交えず小坂井の本を良書だと思う。

「生きていればいいこともある」という言葉の意味について考える。日本には「人生万事塞翁が馬」ということわざがある。私もかつてクリニックの医師に「きっといいことあります」と言われたっけ。私たちの人生はそうした「運」「縁」が重要な役割を果たしているのだろうか。絶望的な状況に置かれた人に、「運次第」で人生は開けると語りかけること……それは残酷ではないだろうか。運次第で人生が好転するか暗転したままか決まるのなら、人生というものは相当にナンセンスなものではないだろうか。そんなことを考えた。

チェスタトンだったか、「奇跡に関して最も信じがたいことは、奇跡は起こるということだ」と喝破したのは。私の人生を振り返ってみても40の歳に奇跡的な出会いがあり、そこから今のような英語でメモを書いたり発達障害と向き合ったりするような人生が始まった。その意味では人生は「ガチャ」で決まるところがあるとも思う。人事を尽くして天命を待つ、ということわざもある。運次第でどうにでもなる人生だからこそ、私は運に頼らずに自助努力を尽くしたい、とも思う。この矛盾を生きることが、すなわち人生を生きることなのかなとも思う。

「空気は読むものではなく、吸うものだ」とある方の言葉だ。私も空気を読めなくて苦労している身なので、この言葉が身に沁みる。私は結局雑談もこなせない、変人としての人生を生きるしかない。だが、ならばその道を極めて集団の中でファーストペンギンとして生きるまでだ。ナンバーガールの歌詞のように「自力を信じて」。哲学の徒として私は生きているので、あらゆることを懐疑的に見る癖がついてしまっているがゆえにこれは難しい。だが、なぜかうまくいってしまうのが人生、奇跡が起きてしまうがゆえに価値があるのが人生でもある。人生は面白い。