単純な生活

Life goes on brah!

20251216

今朝、また薬の効きすぎがたたって朝7時の起床時間を寝過ごしてしまう。それでもう、冬でそんなに汗もかいてないし今日はシャワーと洗濯はいいやと思って英会話のZOOMミーティングにだけ参加することにする。今日の話題はドバイにて高層のホテルが建設されたとの話で、ぼくは高所恐怖症なのでそうしたホテルに泊まることはまずないだろうと思ったものの、人の話を英語で聞いているだけでも勉強になるかと思ってミーティングの内容をメモパッドに書きつけていった。ぼくにも話題が振られて、それでさいきん近所の旅館で行われた忘年会に出たことなどを(旅館とホテルはつながるだろう、との安直な考えにより)話したりしてお茶を濁す

実を言うと、昨日の分の日記を書いた後とある方とDiscordのDMにてやり取りを楽しんだのだけれどそこにおいて、「あなたは強い人です」と力説されたことが気にかかった。たしかに、トラブルが起こった時(発達障害者の人生はトラブルの釣瓶打ちというか串刺しなのである)それにたいしていちいち動揺したりあまつさえ逆ギレしたりしていてはおさまるものもおさまらなくなるので、その際の対処の仕方は心得てきたつもりだった。でも、そのように言われるとは意外だった。過去、文字どおりメソメソする泣き虫だったことを思うとぼくもそれなりに成長したと言えるのだろうか。

昨日のことでもう1つ話題としてあるのは、沢木耕太郎が登場して自説(人生哲学)を語る動画をYouTubeにて見かけたことだった。ぼくはめったにYouTubeを見ないのだけど、これは見入ってしまい自分自身も下手をするともうこの人生は「後半戦」「たそがれ時」なのかなあ、とも考え込んでしまったのだった。過去、20代の頃それこそ「シブい」「クールな」人間になろうとして背伸びをしてジャズを聴いてみたり(さっぱり理解できなかった)、あるいは内田百閒や耕治人古井由吉を読んでみたりしたことはあったけれど、そんなことをしなくともしぜんとぼくもこんなふうに年老いるものなのだなあ、と思ったり。

老いればけっきょく待っているのは、まぎれもない人生の終わり、すなわち死ということになる。ただ、このまま人生を終えてしまうのももったいないと思いここでは書けないちょっとした博打を打ってみることにした。というか、うまく言えないのだけれどチャレンジに挑むことにしたのだった。どう出ることか。Facebookを読んでいると村上春樹のコメントで「動かなければなにもはじまらない」というものが紹介されていて、そんなことを春樹さんが言っていたとは初耳だったのだけどともあれその言葉にそそのかされたというところもあるかもしれない。どうなることか。今年のクリスマス・イブや年末年始はひと味違うものになるのだろうか。

そう、いつかこの人生も終わる。この人生はあたかも旅のようなもので、その旅は楽しいものかもしれないけれど、いずれはどこかにたどり着いてしまう……過去、こうした死生観というか人生観について考えていた際、どうして「じゃ、なぜ『いまここ』を『終わり』にしてはいけないんだろう」とあれこれ考えたことを思い出す。ひらたく言えば自死で幕を閉じることがなぜいけないのか、ということになる。

おおげさだろうか。でも、過去それこそ20代・30代はぼくは1日たりとも自死を考えない日はなかった。けっきょく死なずにいまがあるわけだが、「死ねなかった」「死ねばよかった」と思い込んで、そしてその否定的な考えに耐えられなくなって酒を呷ったのだった(だから、長じて鶴見俊輔の本を読んでいて彼が自殺というアイデアに取り憑かれて過ごした時期があったことを大胆に開陳していることを知り、信頼感を感じたものだ)。

自死という病的な理想に取り憑かれていた際、自分の中に巣食うそんな病的な考え方をなんとかして乗り越える・超克するために宮台真司を読んで人格改造を試みたことを、いまでも思い出せる。そしてTwitterなどでそれこそ心ない人たちからの言葉の弾丸を浴びせられても傷つかないように・はじき返せるようにと自分をタフにさせようと、それこそ無理をしたのだった。いま、ぼくは自分の弱さを認める。弱くていいじゃないか。弱い人間には弱い人間なりの道があり、成長のステップがある。そういうことなんだと思う。

でも、不思議な話だ。過去ぼくのまわりには本当に気の置ける友だちというものがいなかった。どのように心を開いていいかわからず、またかろうじてできた友だちからはけっきょくコケにされたり邪険に扱われてぼくの方がさじを投げたりもした。そこから、友だちに頼らず自助努力でなんとかするのが強さだと思い込み、酒も1人で辞めようと我慢に我慢をかさねて無理をして、そして負けてしまい打ちひしがれたりもした。いまは10年にもわたる長い付き合いを保ち続けてくださっているメンターの方や友だちといった人たちに囲まれている。いったいなにが変わったのか、ぼくにはわからない。やったことと言えば見栄を張らないようにつとめること、それだけなのだけれど。

夜、早番の仕事が終わりそして帰宅する。夕食を済ませた後に沢木耕太郎ミッドナイト・エクスプレス』の続きを読みふける。旅をする沢木耕太郎の視線はきわめて冷徹で、旅行のシビアさ・きびしい現実をも書き込む誠実な姿勢をくずさない(もちろん、沢木は旅行中にこの旅行記を書いているわけではなく帰国して・時間を置いて書いているわけだからそのタイムラグもあってこそ、ここまで整理されたものが書けているとは認めるにせよ)。これから沢木はいよいよシルクロードをたどってヨーロッパに向かう。いったいどんな運命が待ち受けているのだろう?