実を言うと、過去にぼくはこんなことをかたくなに信じていた。ぼくが持つ夢はぜったいに叶わない、と。確かに世界にはサクセスストーリーを実現させた、成功した人たちがいることもまた確か。彼らは夢のすばらしさを高らかに語る。でも、ひねくれ者のぼくは「ラッキーだっただけだ」と斜に構えて見ていたのだ。それは確かにすごいことだが、ぼくとはなんら関係がない、と。でも、事情が変わっているのを感じる。ああ、夢がぼくの中に芽生えて、残っているのを感じる。
たぶんこんなことを考えてしまうのは、ぼくがいま楽しんで読み進めている沢木耕太郎『深夜特急』の影響だろう。この本の中に、こんな旅人たちが現れる。彼らはどこで旅を終えていいかわからなくなり、その日暮らしに異郷で耽って過ごすしか身の施し方がわからなくなる。目的も何もかも見失った果ての無為……いや、それも人生かもしれない(無責任だが)。でもぼくは思う。いまがその居心地のいいゾーンから「外に出る」べき時なのかもしれないと。著者・沢木耕太郎が一大決心をしてインドからふたたびヨーロッパに旅を始めるのにも似ているだろうか。
こんなことを、宿題の紙にしたためた。そして、何人かの友だちにシェアした(とりわけ、昨日話を楽しんだ中国人の友だちにはシェアしたかった)。ぼくのこんなつたない文を楽しんでくれた彼らは、あたたかく「頑張れ!」とメッセージをくれた。ああ、その励ましはぼくを力づける。でも、冷静になりたい。いつだって「人生は甘くない」のである。そのことは知っているつもりだ。
なんとも味わい深い人生だ。ああ、いまの友だちにお会いする前(とりわけいまのジョブコーチとお会いする前)、なりたいものにさせてくれるような内面的な力を信じられなかった。「なりたいものになれる」という言葉を嘘っぱちと決めつけて……でも、夢を持つことはこんなことも可能にするのだなと思う。いや、夢がかならず叶うなんて思ってはいない。でも、夢を持つことは少なくともいまのぼくを前に押しやっている。ずっとずっと、これからも。