跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/12/07 BGM: Yellow Magic Orchestra - ユーティー

実を言うと今日と明日は休みなのだった(とくにボスにお願いした記憶はないが、まあそういうこともある)。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに参加した後、いつもながら(すでに読者のみなさんも察されたように)朝活の一環としてイオンにはるばるバイクを飛ばして通い、そこであれこれ考えごとをしたり本を読んだり音楽を聴いたりして過ごす。今朝のおともは昨日買い求めた品田遊『キリンに雷が落ちてどうする』で、坂本龍一のリミックス盤『ブリコラージュ』をランダム再生で聴きつつ読みふける。なんでこんなコンビネーションで読んだりしたのかわからないけれど、実に沁み入る読書体験だった。それこそ脳が耕されていく感じで面白かった。

読んだ感じではこの品田遊の本は公開日記で、ぼくがこうやって日々書きつづっている日記と少なくとも立場的には同じようだ。彼にとっては、この連続した試みは彼の中にあるジャンクなアイデア(品田はそれを「淀み」と呼んでいる)を吐き出す役割を果たしているみたいで、それがこうして実に刺激的なエッセイ群に高められているところに実に「狡知」「叡智」の極まりを感じてしまい舌さえ巻く。ぼくの場合は、実は日記をなんだって書き始めてしまってこんな感じで続けられているのかまったくもって、とんと知ったこっちゃねえし「ソンナノカンケーネ」な勢いで書きなぐっているのが実情である。つまり、なんら戦略的なものではありえなく本能が命じるままに書く(というか「吐き出す」)。だが、ひとえにぼくにとっては小説執筆を夢見ていて手を染めたことさえあったけれどそれがむずかしかったから結局こうやってぼくでもできることをあれこれ探したら日記執筆に落ち着いたというのがホントのところだ。小説執筆においては、1つの主題をそれなりに長期間にわたって「コトコト」と不屈のねばり強い姿勢で煮込まないといけなくて、そんなことは発達障害者ゆえ飽きっぽいぼくにできるわけがないからだ。

そんなこんなでその品田遊の本を途中まで読み、自分でも我ながらこういうところがホントにスットコドッコイだなと思うのだけれど、音楽をG・ラヴ&スペシャル・ソースにチェンジしてぼくの中にわだかまっていた思いをメモパッドに英語で書きづづる。品田遊にならい、ぼくも宮澤賢治風に言えば「心のなかのスケッチ」をして勇気を以て心の中のモヤモヤを吐き出し、ゴミを堕してしまい軽くなる必要があるのだろうと思う。コンピュータ音痴の極みのぼくがこんなことを知ったかで言うのは恥ずかしいことだけれど、ある意味では「心のデフラグ」をするべきなのかなあ、とか。

午後になり、そんなこんなでスイスイと時間は過ぎる。昼ご飯を食べたのち横になりウトウトもしくはゴロゴロして頭を休め、約束していた時間にグループホームの本家に行く。今日は副管理者の女性が出勤されていたのでその方と少しばかりお話しさせてもらった。もっぱらぼくの中の問題・悩みごとの相談だったのだけど、それは実に「アダルティ」なことなのでここでは書きようがない。副管理者の方はいつもながら親身に相談に乗って下さり、アドバイスを下さった。だが、それは主にどうやったらロマンティックな関係を体験し(たぶんそうした関係を「楽しみ」)、そして人間的に成長したりできるかといったことが主眼が置かれていて予期していたものではなかった。いや、もちろんそれはそれでコミュニケーションの醍醐味というもので実にありがたい・有意義な会話だったと思う。本音でそう思う。でも、男性の管理者の方はこの問題について男として、つまり同じ肉体的性を持つ者としてどう聞いて下さるか、それを知りたくも思ったのだった。言わんとすることは伝わっただろうか。

そのミーティングの後、またイオンに行きその建物の中にある歯科で歯の治療をしてもらう。その後、町の古本屋になぜか行きたいというか「本がおれを呼んでいるんじゃないか」とか考えてしまったので、給料の残り分が少しばかり(文字どおり「少しばかり」)あったのでなにかいいものがあればと思って行く。すると、『現代思想冒険者たち』シリーズの丹治信春によるクワインの入門書(?)があった。そこでとつぜん意識を失い、気がつくとその本を手に取っていてあろうことか手持ちのお金が少しなくなっていた(と、スタパ齋藤っぽく書いてみた)。グループホームに戻り、イエロー・マジック・オーケストラのスリリングな傑作『テクノデリック』を聴きつつそのクワインについての本を読み、ホーリズムについてかじったりしつつ心の中のゴミをどう哲学的なアイデアに消化したらいいか(できっこないかもしれないが)考えたりした。そんなこんなで終わった。