仕事におもしろいもへちまもないのだろうし、ましてぼくの仕事はぼくの好きなこととはまったくもって無縁の分野のことでしたがって今朝方はやる気も起きずまったくガス欠の状態で英語の精読をはじめてしまった(だがしかし、言うまでもないことだがこんなことを書くのは仕事を批判したいわけではない。そもそもぼくは「好きなことを仕事にする」という幻想を追い求める心理が人を病ませ・狂わせる可能性を危惧する)。あるいはやる気が起こらなかったのは「なんだったんだろうこんな人生(なにも成し遂げられなかったなあ)」「無意味きわまりない人生だったなあ」という妄想に苦しめられていたからかもしれなかった。でも、こんな『マチルダは小さな大天才』のようなすばらしい本(そして映画や音楽も)がぼくを救ってきていまもはげましてくれているのはたしかなことだ。そして、英語研究会以外にも朝の英会話関係のミーティングや英会話教室、DiscordやMeWeなどで英語学習仲間とつながらせてもらっている。独りぼっちではない、ということもまた火を見るよりあきらかなことだ。なら、それをありがたいと思う。
あれやこれやで本を読み終え、昼弁当に寿司を食べる。その後、イオンの中にある未来屋書店に行きなにか本を探そうかと考えた。すると、前々から気になっていた書き手の品田遊の書『キリンに雷が落ちてどうする』を見つける。迷ったが、誘惑を逆らい続けられず買い求めて少しばかり読む。実にファニーで面白おかしく、哲学的な香りもするぼく好みの本でさすがだと唸った。この本はカバンに入れて末永く携帯するたぐいの本になるかな、とも思った。それこそ燃え殻や岸本佐知子といった書き手のブリリアントなエッセイのように。以前に知り合いの女性から、ぼくは言葉も考え方もきわめて堅苦しいのでやわらかく考えたほうがいいとアドバイスをもらった。なら、この品田遊の本はぼくのそんなガンコな発達障害の脳みそをソフトにしてくれるにちがいない。エイフェックス・ツインやマウス・オン・マーズの音楽のように……いや、まだかんぜんに読んだわけでもないので過褒もしくは筋違いの言及になるが。
夕方になり、インターネットを介してとつぜん悲しいニュースを知る。中山美穂の訃報だ。ぼくが中学生くらいのころだったか、彼女は「ミポリン」という愛称でアイドルとして現れた。当時はでも、中坊だったにも関わらず生意気盛りでませていたぼくは「アイドルは虚構だ」「あんなのクズだ」ときわめて乱暴に切り捨てていたのだった(まあ、ありがちと言っちゃあありがちな話だ。だからぼくはおニャン子クラブにしたってモーニング娘。にしたってぜんぜん熱狂した記憶がない)。でも、そんなぼくの認識を改めさせたのが侮りがたい岩井俊二のエバーグリーンな映画『Love Letter』で、そこで彼女が見せていたチャーミングなたたずまいに魅了されたのだった。ぼくにとってはだから彼女はむしろ女優で、アイドルではない(でも、いまはさすがに上述した若かりし頃のアイドル観を浅はかにもほどがあったと恥じてもいる。いまのアイドルのことはわからないが、野望や夢をかなえるために彼ら・彼女たちはそれこそ並々ならぬ努力をしているのだとようやくわかってきた)。彼女の死因や近況なんてぼくにわかるわけはないが、それでも彼女が見せてきたチャーミングなたたずまいをいま一度思い起こしつつ合掌したいと思う。