お昼にとんかつ弁当を食べて、その後グループホームの本家に行き1時半から重要なミーティングに臨む。最初は仕事の話をして、困りごとや関心事などを話していたのだけどまったくわけがわからないうちに(これも寝不足のたたりだろうか)、他の方に自分の過去のトラウマに満ちた日々のことを語る。ここかしこで書き散らしてきたことをひとくさり、たとえば30代の頃詳細は省くがやけ酒を喰らいながら仕事をするまで追い詰められて、ついに医師が就労不可の診断を下すところまで追い詰められたことなどを語った。その後、その酒を断酒会につながらせてもらったことで止めさせてもらうことができるようになり、いまは心をその場で解放することができているといったことなどだ。
そんなことを語ることで次第に思い出しながら……まだ脳は働かず困ったものの、他の方々からのあたたかいリアクションやコメントもあってたしかなぬくもりを感じ、ポジティブな力をいただけたと思った。他の方々からはそうした断酒会や英会話教室などの活動を続けられていることについて端的にすごいことだと褒めてもらえた。そうした活動以外だとあとは自助グループや英語研究会の活動にも参加しており、毎週木曜日のZoomも思い出す。忙しいものだ(いや、たんに時間の使い方が器用ではないからあれこれ予定をはめ込んでしまうのかもしれない)。なんにせよ、そのミーティングも無事終わり帰宅して特になにもせず、とろとろと夕食までの時間をつぶしてしまった。
夕食にハヤシライスをいただき、ベッドに横になってなんとか気分を立て直そうとした。するとお腹が満たされていたせいかいつの間にか意識を失っており(まったく、バイきんぐのコントではないが「なんて日だ」である)、それで断酒会も行けなかった。実に恥ずかしいことをしたと思う。その後、さすがに気分も落ち着いたので今朝図書館で借りた斉藤章佳・にのみやさをり『性暴力の加害者となった君よ、すぐに許されると思うなかれ』を読み進める。エリオット・スミスやニック・ドレイクなどのすばらしい珠玉の作品を楽しみつつ、この瞠目すべき本にならって自分の過去のことを思い返す。過去、ぼく自身はむしろ「被害者」の側からこの世を眺めることが多かった。この本では性暴力に限らず男たち(とりわけ、モテなかったり承認を与えられなかったりする「弱者男性」たち)のもろさについて、あるいは彼らがいかに「強くあらねば」とストレスフルに生きてそれゆえに性暴力の加害に淫するまでに追い詰められうるか語っているとぼくは読むのだけれど(だが、だからといって彼らが「すぐに許される」わけではない)、そこからぼく自身も承認欲求を持て余してインターネットであれこれむなしく暴れたりしたなとかなんとか。今日はこれについて書く余裕もスペースもない。またいずれ、書けたらこの話を掘り下げて行きたいと思う。