今朝、ぼくはいつものようにFacebookを経由したZOOMでの英会話のミーティングに参加した。学校でのミルクの給食について話し合う。その後、図書館に行きそこで島田雅彦の『小説作法ABC』を借りる(ぼくも含めた、作家志望の方々に向けた指南書だ)。そしてグループホームに戻り、毎週水曜日に参加しているZOOMでの英語関係のオンラインミーティングに参加する。今朝、これらのことをこなした。ああ、忙しい朝だった。
ぼくの中にはいつだって「煮えたぎる」ものがある。そしてそれはぼくが発出するのを待っている。吐き出せ……でも、その試みはいろいろストレスフルなことをぼくに要求する。考えの根幹にあるのはなんだろう。いつか死ぬことへの恐れ? 孤独? (文字通り……わかるだろう? セックスに関することだ)。
明日木曜日、ぼくは友だちが行うミーティングに参加する予定だ。英語学習の問題・困難について話し合うと聞いた。ぼくは彼らに、どれだけ彼らがネイティブのアメリカ人の先生たちの英語を聞いているか訊いてみるつもりだ。というのは。ぼくは彼女たちの英語を聞き取れる(万全にではない。でも「ほとんど」、レッスンを楽しめている程度には聞けている)。でも、もしこのリスニング/ヒアリングが基でレッスンを楽しめていないなら悲しいことだ。
夜になり、断酒会に行く。そこで昨日のことを話す。ぼくは不安だった。職場での怒りをどれだけ話せるかを……(不満/フラストレーションを話すのは得意ではないのだ)。でも今日、会長は正直に「真面目で、信念があるんですね。間違ってはいないですよ」とおっしゃった。感謝している。
そして、グループホームに戻り村上春樹の『1973年のピンボール』について話すためZOOMでのミーティングに参加する。でもぼくは読書サロン的なものを期待していたのだった。「おしゃべり」できればいいな、と……(お茶を一杯飲んでくつろぎつつ、みたいな)。でもそれはシリアスな会合だった。ああ、恥をかいてしまったかな。