午後になり、あらかじめ約束していたZoomのミーティングに参加する。ほんらいならこのお盆期間、誰だってそれなりに忙しいはずだがその合間を縫って開催してくださったミーティングだった。そこで2人の英語の教師とともに英語の特別授業を楽しむ。1人はいつもお世話になっている英語の先生で、もう1人はインドの方だった。インドのその教師とぼくは初対面だったので、ぼく自身の英語のレベルを見極めるためということでさまざまなその方の質問にぼくがまず答えていくことから始まった。たとえばぼく自身の自己紹介(デパートで働いているということ、発達障害者であるということ、そして兵庫県に住んでいるということなど)。そしてなぜ英語を学ばんとしているのかや趣味はいったいなにか、どんなことを英語でディスカッションしたいか。そんなむずかしいことを事細かく熱心に先生が英語で質問されたので、ぼくももちろん真面目に答えたのだけれど、なかなか「立て板に水」にはならずしょっちゅう「フリーズ」して途切れ途切れといかしどろもどろになってしまった。
でも、そのミーティングが終わって後日本人の先生がおっしゃった。ぼくの英語力(とりわけ聞き取りと話す力)は充分条件を満たしておりクラスを続けられるのではないか、と。もちろんぼくはいまだ自分の英語力がわかっていない。でももし充分なのだということであれば、これはひとえにその日本人の先生が何度もこのぼくや他の生徒さんたちに対して開かれてきたミーティングやTelegramでの英語での会話の賜物とぼくは受け取る。社交辞令ではなく事実だ。ゆえにその先生や他の生徒さんたちへの感謝があらためて湧いてきた。
一週間ほど前に書いたが、ある美術の先生が約束どおりぼくの住むアパートに今秋行われるという市の美術のコンテストの要項を書いたパンフレットと、そしてカンバスを持ってきてくださった。安いクレヨンを買っていたので、そこにあとは落書きないしは手書きのなにかを書いていくだけである。その方から励ましの言葉もいただき熱が入る。夜になり、七夕に関する別の友だちのZoomのミーティングに参加する。星を見ることを誘うミーティングとして実に面白かったけれど、もちろん星空を鑑賞することがどんなに楽しいことかわかっているとしてもこの田舎町でもすでに星はこの地上の家々の明るさのせいで見えづらい。でも、それでもプラネタリウムに行かずとも場所によってはすばらしい「天然プラネタリウム(略して『天プラ』とも呼ばれているとか)」が楽しめたりもする。そんな話題で盛り上がる。
それはそうと、2週間後がたしかぼくの発表の予定だったはず。どんなことを話そうかと思案しつつ朝借りた片岡義男『自分と自分以外』を読む。ぼくがなぜ今日みたいな英語学習を続けられているか、そのあらましを語るのはどうだろうかとかああでもなくこうでもなく考え、そして夜は更けた。