ぼくが受けたのはWAIS-IVというテストだったと記憶する。テスト前、女性のスタッフ(心理士の方だっただろうか)とぼくが過去のぼく自身についてのライフヒストリーを振り返ったりその当時の悩みごとなどを話し合ったりする面談の時間があった。どんなことを吐露してしまったのかまではもう詳細には思い出せないが、1つ思い出せるのはその場、その心理士の方の前でぼくが話しているうちに「もう、どうしていいかわかりません」と泣き出してしまったということだった。その方も悲痛な表情を浮かべられた。そしておっしゃった。「あなたのような特性の方が仕事でそれだけのお金を稼ぐというのはとてもたいへんなことなのよ」と(とはいえ。ぼくの稼ぎはお粗末なもので当時はドクターとのあいだで少しばかり生活保護の話題まで出たりもしていたのだけど)。そしてテストを受け、絵を書いたりして、晴れて(?)ぼくの発達障害が明るみに出たのだった。
ああ……そんな日々、どんなことをぼくは考えて生きていたのだろう。当時は日記を書いておらず、したがっていまから思い出そうとしてもなにかしら美化されたかたちでしか思い返せない。でも、それでも1つだけきれいごと抜きでかくじつに思い出せることはあって、それはどこかであの頃はらわたが煮えくり返る思いで生きていながら、せめてぼくのことをコケにしたクラスメイトに「復讐」したい、全員ぶちのめしてやりたい、コテンパンにしてやりたいと幼稚な怨恨感情を煮えたぎらせていたというのがホンネだったということだ。実際にその後ぼくが40代になったある日再会したある元クラスメイトに(その人はぼくのことをいじめたわけではなかったが)当時苦しかった日々のことを話したことがあった。彼からは「がんばれ!」と言われたっけ……ああ、ぼくからすればなにをしたらいいか、なにをどうがんばったらいいかまったくわからず、したがって日々ムダにエンジンをフル稼働させて、したがって燃え尽きる寸前でくたびれはてて生きていたようなものだったが……なにはともあれ当時はこの発達障害特性を憎み、したがって生まれてきたこと自体を恥じたりもしたのだった。いや、なんだか書いていて小っ恥ずかしい話でもある。だが、ぼく自身の原風景・原体験であることもまたたしかだ。
ところで、ぼくが英語学習や哲学関係の議論などで利用させてもらっているDiscordにて、ある方が電子書籍で同人誌を作る旨を発表された。それにかんして、参加者から原稿を募っているとのことだった。グループホームに帰宅して夕食を済ませた後、ぼくはさっそくどんなことを書くべきかアイデアを温めたいと思いあれこれ試行錯誤して考えたりした。上に書いた30代の時期(「ぼくなりに」ではあるが、ともあれ人生のどん底というか冥界を見た時期)、いまとなっては実に自分の浅はかさが垣間見える話でもあるのでこれまた小っ恥ずかしいが、何篇か短編を執筆してそれを友だちの同人誌に掲載してもらったりした。その友だちとはもっぱらぼくの不徳のせいで仲違いしてしまい、それも一因で原稿を捨ててしまったのでどんなものを書いたかもう覚えていない。前にも書いたかもしれないが、なにか小説を書く際は1つのことを根気強く「じっくりコトコト」煮込む作業が必要となる。したがってぼくの発達障害特性とはきわめて相性が悪い。書けるならそれこそ、ゼーバルト『アウステルリッツ』や三島由紀夫『仮面の告白』、夏目漱石『硝子戸の中』的な過去の回想をベースにした断想をしたためてみたい。あるいは池澤夏樹『スティル・ライフ』みたいな作品が書けたら……なんてとめどなく駄ボラを吹いてみたりするのだった。