読み進めるにつれて、こんなことを考えてしまう……さっきも書いたとおり、まだ若かった頃ぼくはこんな感じで回想録(回想ブログ)を書こうかとか、あるいはもっと一般的に公開日記をブログとして書いて残そうとか(そう、いま読まれている文章のことだ)、そんなことを思いつかなかった。思ったとしてもくだらない考えだと一蹴していたはずだ。ぼくの見地から言えばぼくの日々なんて同じだ。朝起きて、ひとっ風呂浴びて、英会話関係のZoomに出て、その後イオンに行って、本を読んだり読まなかったりして過ごす。こんな日記、ぼくなら読みたいとは露ほども思わない。実は、ぼく自身こうした日記書きを始めた当初「こんな日記、面白いのかなあ」と自信がなかった(いまはどうなんだ、と言われそうで怖いが)。でも、それでもここまで続けてきたらそれなりにスパイシーにはなってるんじゃないかとは思う。
おわかりのように、ぼくは記事を記憶を掘り返すことによって書く。その記憶は必ずしもぼくの脳みそからだけではなく、身体や外部の要因からも(メモパッドやシステム手帳に書いたラクガキを参照したりすることによって)生まれる。先月末に病院の口腔外科で親知らず抜歯の施術をしてもらったあと、目まいに襲われてからこんなことを考えるようになった。もう若くない。いつか、「書けなくなる日」は確実にやってくる。なにが原因なのかは言えないが、いつかくることだけはたしかだ(そうすればきっと、ぼくは身体の一部をもぎ取られたような大事なものを失うことになる)。なら、手遅れにならないうちにいま書けることをありったけ書いておきたいと思うようになったのだった。
回想録をあれこれ書くために、今日考えたのは母校の高校を再訪しようかということだった。でももちろん、向こうからすればあまりにもこれは非現実的な思いつきというものだろう(セキュリティに厳しくならざるをえない昨今、なかなかかんたんには許してもらえまい)。それはもっともなことなのであきらめて、高校のあった町にある図書館にまた行ってみたいと考えるようになった。そこで、ぼくはあの時期、誰も友だちがいなかった時期にスティーブ・エリクソンやポール・オースターを借りて読みふけったことを思い出す……。