単純な生活

Life goes on brah!

20251122

今日は朝5時頃目覚めた。昨日早目に眠りに就いたこともあって、はやばやと頭が働き始めて前に書いていた性愛(邪淫)にかんするメモ「I Wanna Be Your Dog」を書こうとするもなにも思いつかない。こういうのは頭ではなく本能にまかせて書くべきと心得て、自分の中の欲望を剥き出しにしようとこころみるもぜんぜん言葉にならない(ちなみに、まずは英語であれこれ書きつけてそれを日本語に翻訳していく段取りで書いている)。今日は1行もものにならず、時間をムダにしてしまった。しょうがない。こういう日もある。

それでも朝は来る。朝7時にシャワーを浴びて洗濯機を回し、そして7時50分から英会話のZOOMミーティングに参加する。はなはだ失礼ながら、このミーティングもときおり「サボってもいいかな」と思うこともある。惰性で参加しても得るものなんてないのではないか、と。ただ、それでも身体がこの7時50分という時間を覚えてしまったようで参加しないとそれはそれで落ち着かず、したがってイソイソと出るようになってしまった。今日はJRが始めたという乗客の顔認証システムについてで、ぼく自身はふだんは電車を使うことなんてないのだけれどマイナンバーカードを使う際の顔認証のことを思い出したりして、そうしたことを言葉にしていく。

その流れでサイバーアタックにかんする話題へと派生して、フィッシング詐欺やハッキング(クラッキング)にも話題がおよぶ。ぼくも実を言うとFacebookは以前にアカウントをハックされて、それでエラい目に遭ったのだった(それ以来、システム言語というかアプリの設定は常に日本語にするように心がけている)。このZOOMミーティングはそうした身近な話題を英語にできる稀有な機会ととらえている。今日も楽しいひと時を過ごした。

その後、10時から仕事をはじめる。今日もブラックフライデーということで職場は大忙し。そして昼休みに職場の休憩室から友だちにLINEでメッセージを送り、あれこれ話し合う。ぼくがどうしたって性的なことがらに依存してしまっていることをその方に包み隠さず明かしたところ、その依存じたいはかまわない(あなたが苦しいなら依存するのは仕方がない)という話になる。そしてそこから、依存先を分散させてみてはどうだろうか、とアドバイスを頂戴した。分散する、というのはつまり性的な動画や書物に依存するばかりではなく、相談先を増やしてみるとかして特定のことがらにマニアックに入り込み過ぎないようにしたほうがいい、ということだ。

それはうなずけるところがあると思った。まず、ぼくの場合アルコール依存症であることをまず踏まえて考えないといけない。あるいは、これまでの生活の習慣から買い物依存症であることも必然的に導き出される(一時、買い物が過ぎてエラい目に遭ったこともあるのだった)。なにかについて徹底的に没入してしまって、そこからなにがなんでも快楽・悦楽を得ようとする心理というものがあるらしいのだ。それについてぼくは過去、なにがなんでも酒なら酒を我慢して1人で解決しようとあがいたことがあった。しかし、それはムダだった。我慢の断酒は限界があるというが、ほんとうにそのとおりだ。

断酒会で学んだことというのは「酒の前に人は無力である」という事実を認めることだった。そこから、酒をコントロールできない自分自身を認めること、無力な自分自身と対話・折衝をかさねてなんとか精神状態をニュートラルに保つこと。そんなことを教わったと思う。そして依存先を増やすというか相談先をたくさん持ち、多元的に所属することで多彩な意見を取り入れて自分を安心させること(悪く言うと「甘えること」「甘ったれること」)を学んだ。それで、いまはぼくは断酒会や発達障害がらみの自助グループ英会話教室関係のグループなどに所属しそこでラクになれていると自負する。

そう考えていくと、その方の「分散すること」はだいじなアドバイスであると受け取った。いや、持つべきものは友というがほんとうにそのとおり。その方がぼくのことをふだんから親身になって見つめてくださっていて、そしてその方なりに日常生活でさまざまなことをほんとうに真剣・真摯に学習しておられることがこうしたアドバイスに結実したのだろうと受け取る。その姿勢に畏敬の念をおぼえた。

思えば、過去はまさにそうして酒におぼれてさまざまな夢想をこじらせ(幼児的万能感、といってもいいかもしれない)、そこから出られなくなって困ったことがあったのを思い出す。大江健三郎村上春樹レベルのものなら自分でも書けるとうそぶいて、ちょっと本気出せば世界がびっくりするとも思い込んで、でもけっきょくその「ちょっと本気出す」ができなかった。自助グループとの出会い、メンター(元ジョブコーチ)との二人三脚の歩みがこうしてともかくも恥をかいて生きるこのぼくをかたちづくったのかなあ、といまなら思える。そう思えば人にはずいぶん恵まれているなとあらためてありがたく思った。

仕事を終え、夜になり奥本大三郎ランボーはなぜ詩を棄てたのか』を読もうとするも眠くて読めず。疲れ果ててしまっていたのだろう。それで逆らわずに眠気にしたがい眠り、起きてこの日記を書いた。