ぼく自身は「故郷」「祖国」を持たない人生を想像できるだろうか? もっと単純に言えば、「所属先」「居場所」を持たない人生を。かつて、ぼくはそんな種類のあこがれを持つことを「バカげたこと」と一蹴していた。根無し草、あるいはディアスポラとしての人生にあこがれさえした――どんな場所にいても「よそもの」であろうとする人生。なんでそんなアホなあこがれを持ったのかわからないけれど、たぶん過去にどこにいても「エイリアン」だった経験でそんな極端な妄想をこじらせてしまったのかなと思う。
そんな経緯から、この国のこともずいぶん嫌ったのだ。ネットスラングでいうところの「反日」だ(いや、よく知らないのだけれどこれは一般的な言葉なのかな?)。青二才のくせにそんなふうなことをのたまうぼくは、いっそのこと日本を出るべきだったのかなと思う。だが、なんにせよいまは「ここ」を「ホームグラウンド」「家郷」として受け容れられる。『わたしの香港』を読み、ぼくも『わたしの日本』的なものを書けたらと思い始めた。あるいはぼく自身の小説を(まあ、「手なぐさみ」として)。
次の日曜に、ぼくは発達障害を考えるミーティングに参加する。そこで、こんなことを話すつもりだ。このメモワール『わたしの香港』と、そしてこの国に関するぼくの思いも。英語を学ぶ動機についても話したいので盛りだくさんになるのだけれど、それでも上に書いたことは大事なこと、明かすべきこととも思った。まあ、焦りは禁物だ。
3時からジョブコーチと職場で面談を行う。どんなことで困っていて、どう解決するか話し合った。事実と印象をぼくの中で分けることの大事さをいつもこのジョブコーチは教えて下さる。それはしかし難しいことで、まだまだ修業が必要だ。ゆえに、この時間はいいレッスンだった。
休憩時間、上に書いたぼくの小説についてアイデアを煮詰めた。でも、まだいまは見せられない(電子メールでお見せできたらとは思っている。ただ、まだ書き始めたばかり。お待ち下さい!)。