さっきも書いたとおりこれはYouTubeの世界(業界)を知らない人間ゆえの「たわごと」「妄想」の域をついに出られない愚言・妄想になるが、ぼくはそうしたコンテンツを作り続けられる人たちに頭が下がる。つねに新しい(活きのいい・採れたての)ビデオを作り続けるのは至難の業であることくらいはわかる。サブスクライバー(登録者)やウォッチャーの興味を惹きつけるべく新鮮でおもしろい材料を探し出す苦労は想像に難くない。そうしたオーディエンスはもしかしたらがっかりして否定的なコメントを書くことだってあるだろう。作り手はそうした否定性に負けないためにメンタルを強く保つ秘訣を学ばなければならない。ぼくのメンタルときたら、この日記でも書いてきたがまあ豆腐並みの実にやわなものなので外部からの悪意にキリキリ舞いしているというのが現実なのだった。
今日は早番だった。昼休み、先にも書いたぼくの回想録「宍粟画」のためのメモをあれこれ書く。いったいなにについて書くべきか……すでにぼくの中で「常識」「自明」となっていることを暴く作業が必要となる。たとえば、いまぼくが住まわせてもらっているグループホームのこの暮らしをはじめたのはどういういきさつによるものだっただろうか。アルコールを断てたきっかけとは。英語を学ぶようになったなれそめとは……早稲田大学(ぼくの母校ということになっている大学)についても書きたいし、渋谷系音楽についても書きたい。村上春樹やポール・オースターについても。子ども心を保ちつづけて、そうしたことがらを暴き問い詰めるセンスを磨きたい。
仕事が終わり、図書館詣でをして須賀敦子の本(彼女が訳したウンベルト・サバの詩集、あるいはアンソロジーも含めて)を何冊か借りる。グループホームに戻り、ルナやギャラクシー500を聴きつつ秋口の空気を堪能しながらポール・オースターのエッセイ集『空腹の技法』を読み進める。オースターのすさまじい(渾身の、とさえ言える)叡智がみなぎるエッセイを堪能する。たとえばフランツ・カフカ、サミュエル・ベケットそしてエドモン・ジャベスについて……そう言えばぼくが学生のころ(それこそ早稲田の一介の学生だったころ)、このオースターの長編小説『ムーン・パレス』や彼が書いた映画脚本『スモーク』なんかを読みふけったりしたっけ(いまなお、ぼくにとってはそれらは綺羅星のごとき作品群として存在する)。それらを読んだことはフィッシュマンズや夏目漱石、小津安二郎の作品と同じレベルで「理想の人生」「人生哲学」を学ぶ好個の教科書としてありつづけたのかなと思う。
『宍粟画』、もう少しお待ちを(今日はクタクタに疲れていたので500文字書いてめげてしまいました)。