その検査のあと、ひと通り診断して下さった医師がおっしゃるには目まいにおいてこれが耳から来ているものとはまず考えにくいとのことだった。身体に異常は見られない。だからもうつぶせる可能性をつぶしたあと残るのは「夏バテ」「ストレス」ということになる。なんにせよ支払いを済ませ(関係ないが、そこにおいて谷崎潤一郎『細雪』の英語版のペーパーバックを読みふけっておられるシブい男性を見かけた)、自室に戻りLINEでこのことをグループホームのスタッフに伝える。もうできることは「様子見」しか思いつかない。さっさとこの不快感が消えればいいのに(医師からは薬はもらわなかったので)。
しかし、考えようによっては今回のような不幸なイベントが少なくとも1つ教えてくれたこともある。というのは奇妙な話に聞こえるかもしれないが、もちろんこれはグループホームの方々やジョブコーチやリアル・ネットの友だちとの連携(大げさに言えば「アソシエーション」)様々はあるが、それでもそうしたつながりをバックにしてこそぼくは自分の判断力・思考能力を信じて平静に振る舞えたという事実だ。少なくとも今回のことをぼくは自慢することができる。これはこれまで、ぼくが参加してきた発達障害がらみのミーティングや英会話や国際交流協会関係のミーティングといったたくさんの活動がもたらす経験ゆえのこと。それを思うと、そうした機会においてぼくをつねづね歓迎してくださるホストや参加者の方に対してそれこそ「足を向けて眠れない」というものだ。
午後、さいきん古本屋で買ったシグロ編『エドワード・サイード OUT OF PLACE』に触発されて図書館で借りたサイード『オスロからイラクへ』を(もちろん進むわけなんてなかったが)読む。ぼくはパレスチナ・イスラエルをめぐる情勢なんてまったくもってわかるわけもないが、サイードが問うアイデンティティ――平たく言えば「私とは誰か」「それは国が保証するのか」――の問題なら少しばかりは身近に感じられる気がする(錯覚の可能性もあるけれど)。ぼくの場合まず始点となるのは日本人であること、男であること、発達障害者であること、だろうか。
振り返ってみるに、日本人であることと男であることもそれなりに苦労して受け入れはしたのだがでも他の人から見れば「よくあること」「日常茶飯事」の次元のことでもありうる。「発達障害者」という事実は過去、「ド」「弩」がつくほどむずかしいことだった(いや、ことによるといまもってなお苦労しているのかもしれない)。なら、どうやってそんなことをいまこなせているのか。サイードの本はこれまでもそれなりに親しんできたが、今回の読書において宝石のようなヒントをもらえたらと他力本願なことを願ってしまう。悲観的に考え、そして楽観的に動く。そんなサイードのモットー(これはもともとはアントニオ・グラムシという思想家の言葉らしいが)の爪の垢をもらえたらなあ、と。