「バカみたい」と言えば、それこそ昨日「バカみたい」に後先考えず買い込んでしまった本があった。そのうちの1冊であるこまきときこ『つれづれ語学日記』を今日読みふけり、実に面白いと唸る。これは著者が日常生活において英語やドイツ語、エスペラント語といった言葉をどう「がんばらない」で(しかし自堕落にもならず)学んでいるかをつづっており読みながらぼくも英語学習のヒントを多々いただく。もちろん英語学習はそうたやすく行くものではなく、したがってナメてはならない(不快な・アンラッキーなことならいくらでも起きる。ぼくだって「万策尽きる」まで努力してもぜんぜん向上するどころか、「退化」「逆走」しているとさえ感じることだっていくらでもある)。著者のこまきときこはこの漫画においてそんな悲しいことも書きつづる(一時は英語を「いったん」ではあるが中座し、ドイツ語学習をたしなむことに切り替えてさえみたのだそうだ)。でもその筆致は湿っぽくも感傷的にもなりすぎず、淡白さと品の良さを保ち続けておりこちらをげんなり・がっかりさせない。しばらくはこの漫画をカバンの中に入れて持ち歩き、思い出したように読みふけることになるかと思う。
この漫画を読みつつ、過去にそう言えば自分の英語力の未熟さ・いたらなさにそれこそげんなりしたことがあったなと思う。特に学生のころのことだ。そんな「初学者」のころ、もう英語学習で楽しい思いなんてできっこない・できるわけがないとさえ思い込んだものだ。英語学習はつらいことばかり・苦行ばかり、と。だが、そんな苦労が報われた……というほど話はかんたんではないにせよ、いまや海外の知り合いが英語を「sugoi」と褒めてくれるようにもなった。たぶんこれも人生だ。
振り返ってみるに、そういえば大人たちはそんな未熟な時期、青春時代を貴重だと称揚していたことも思い出せる。だけど曲がりなりにもそんな10代を通り過ぎた者として、たしかに貴重なレッスンを得られたといまでは思えるけれど、でもこうも言いたくなる。いまのほうがぜったいにそんな地獄のような砂漠のごとく不毛だった10代(それこそ中上健次や村上龍の初期短編みたいな思いをさせられた時期)よりも楽しい。そんな大人たちはロマンスや栄光を味わうこともあったのだろう。でも、ぼくは「いま」たしかな喜びを味わっている。それもまた人生だ。