イベントの内容はAEDの機器をどう使うかというもので、消防署の方々のていねいなレクチャーにしたがって進められる。担当の講師が「やさしい日本語」を用いて会場の方々に説明していく。だが、イベントの内容は面白かったのだけど実を言うとまだ空気が薄いようで呼吸困難をかすかに感じたのと、あとはなんだか気分も悪くしたがって会場の方に伝えてじっと座らせてもらい、水分補給につとめた。なのでAEDの機器を実際に使ってみる「実技」ができなかったのだった。しょうがないのでまたの機会にしたい。
イベントは室内で行われたので、熱中症の可能性も考えにくかった(ただ、室内であろうと体内の熱を発散できなくなったら熱中症になるとかなんとかとも聞く。なのでありえないことではないらしいが、なんにせよこれに関してはごめんなさい! 確かなことは言えません)。なら、水曜日に口腔外科で親知らずの治療のあとにもらった薬の副作用なんだろうかとも考える。あるいはこれはぼくの悪いクセでただの考えすぎで、夏バテと最近のストレスフルなできごとが重なって参った程度のことなんだろうかとも。なんにせよ、グループホームの管理者・副管理者の方に伝えて可能ならこのことは医師に話しておいたほうがいいとも判断した。大げさかなとも思う。でも、もしバイク運転中また目まいがしたら目も当てられない。
午後になり、お金のこと健康のことなどでグループホームの管理者にお会いして話し合う。その後、アパートに戻って前に食事などの補助でお世話になった元世話人さんと会う。その方がWhatsAppの使い方で困っていたということで、それでぼくに依頼されたのだった。スマートフォンを確かめ、また使えるように調整させてもらった。
夜になり、ジュンク堂書店でその口腔外科の治療のあとに張り込んで買い込んだ本である片岡真伊『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題』の読書にふける。この本は谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫や大岡昇平といった日本文学の重鎮たちの文学がいかに英語に訳され、海外に受容されうる文学として紹介されてきたかを解明したものだ。翻訳・紹介をつとめた訳者・編集者がこのややこしい日本の文化や日本語それ自体をどう理解し、翻訳の過程で刈り込んだり加工したりして「編集」させたか。読みつつ、日本文化のユニークさにあらためて触れた思いがした(だが、これについてはさすがに書くスペースが無くなってしまった)。単純に訳せば済むというものではないのか……そう思っていた自分の不明を恥じさせられる。すばらしい仕事と唸らされた。確実に今年のベスト候補に入る1冊だ。