そのZoomのミーティングが終わったあと、しばらくしてclubhouseのルームでアニメや漫画関係のおしゃべり(議論と雑談の「あいのこ」のような不思議で楽しいおしゃべりタイム)を楽しむ。このおしゃべりのメインの話題がアニメやライトノベルについてで、実にメンバーが該博な知識をシェアし合い和やかで紳士的な(と書いて、女性のメンバーもおられたので「紳士淑女的」と書くべきか、「たおやかな」と書くべきか迷う)会話が発展していく。ジェンダーやセクシャリティ、つまり精神の性と肉体の性についての話も飛び出してきて実に興味深い。こんなことを思う……ぼくはついつい人間を男女(つまり2つの性)に分けてしまう。それだけいまだ古い常識にとらわれていると汗顔の至りなのだけれど、少なくともメンタル面では「完全な男」「100パーセントの女性」なんて実は存在しないのではないか? いやこれはぼくは証拠など出せないので妄言・妄想の誹りを免れえないのだけど、それでもぼくはぼく自身の実感から人は男女(もっと雑に言えばオス・メス)という2つの性のあいだのどこかに位置している。ある種グラデーション(濃淡)があり、そのグラデーションのどこかに位置する、と言えばいいか……発達障害者と定型発達者がその特性においてグラデーションのどこかに位置するように。ダメだ、ぜんぜん言葉にならないのでまた別の機会に書き直すことにしたい。
グループホームの「母屋」に行き、そこで副管理者の方にお会いして明日の総合病院の耳鼻咽喉科の通院の段取りをチェックし直す。そのあと部屋に戻り、あとはやることもないのでただのんべんだらりと本をめくったりDiscordでチャットしたりジャズを聴いてみたりしつつ過ごす。前に買ったこまきときこ『つれづれ語学日記』に倣って、月も変わって新しいことをはじめるにはちょうどいいということでBBCの英語学習者向けのポッドキャストを聴いてみることにした。が、そこはさすがブリティッシュ・イングリッシュ。中級レベルと謳われていたが「ナメていた……」と反省させられる結果となった。これもまた汗顔の至りである。
だがなんにせよ、こうして英語を学び続けることはぼくが確実に前に歩けている・前進できていると教えてくれる。ときどき、気忙しく苦しい日々の中でぼくは英語学習の目的も忘れて彷徨うことになる。なんでこんなことやってるんだろう(日本では英語なんて使えなくても生きていけるというのに)、と。だからこうした地味な練習を積むことはふんどしを締め直すことにもなるはずだ。ぼくもまた、1人のバイリンガルとしてこの町と世界をつなぐ橋のような存在になれたら、と……そうして学びの旅程は続くのだった。