跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/06/26 The Irresistible Force - It's Tomorrow Already

実は今日・明日と連休なのだけれど、今朝は職場で健康診断があったので行ってそこで診断を受ける。身長体重測定、視力測定などを行い少しばかり自分が太っていることを知る。その後、ふとLINEを見たら友だちが面白い情報をぼくたちのLINEグループで共有されていたのを知り、興味深く読む。それは発達障害について、脳の一部である海馬に訴えかけることで症状の一部をおだやかに是正していくというものだった。そんな記事を読んだこともあって、前々から気になっていた発達障害自閉症とも言う)を扱った小説であるエリザベス・ムーン『くらやみの速さはどれくらい』を図書館に行って借りることにした。その後、グループホームに戻っていつもどおり昨日の分にあたる日記を書いて過ごす。

昼食を摂り、読みかけていたV・S・ラマチャンドランの力作『脳のなかの天使』の残りをイオンで読みふけって過ごす。こうして書きつけている日記ですでにおわかりの方もおられると思うのだけれど、ぼくはフツーの会社の名もなき勤め人に過ぎないのである。なんらエラくもないし、なんらアカデミシャンでもない。脳科学に関してもただの素人の愛好家に過ぎない。こうした本を読む理由はしたがってまったくもって存在しない(仕事で養老孟司茂木健一郎の本から得た知識が役に立ったことなんてまったくないのが現実だ。いや、あったら逆に怖いが。「ところでおたく、どんな時にアハ体験を感じますか」……)。でもたぶん、発達障害のスットコドッコイな脳の持ち主であるせいか、こうしたトピックにそんなドシロウトなりに迫りたいと思ってしまうのだろう。だからわかるわけもないアントニオ・ダマシオの本なんか読んじゃうのである。そして次の日には(あまりにも難解なので)きれいさっぱり忘れる……いや、めっぽう面白いのだけれど。

発達障害を「治療する」「治す」ということについては賛否両論あるだろう。ぼくはそんな感じで薬などを用いて「治していく」ことが副作用を深刻にもたらす危険性を危惧するが(ぼくにとって永遠の名作と呼ぶことになんらためらいを感じない、すばらしい小説『アルジャーノンに花束を』を想起してしまう)、ぼく自身はそんな「治療」の手段が増えることは単純にいいことと思う。幸せになる選択肢が増えるならそれ自体はまことにけっこうなことだとぼくは思うのだ。でもそれらが「マスト」、つまり「強制的手段」になること(つまり、ぜったいに薬を飲めと学校や会社から訴えられてしまうような事態が到来すること)をぼくは同時に危惧する。人それぞれ、幸せになるやり方(アプローチの方法)は違うのが当然だ。ぼくの場合は最低限薬は飲むけれど、英語や日本語でZoomやリアルでのミーティングにノコノコ出向いてそこで自分自身の内面を掘り下げる旅をするのが性に合っているようだ。

夜になり、断酒会に行く。その後、グループホームに戻り今日1日の活動を振り返りつつ、とりわけラマチャンドランの本の後味を噛みしめつつ持っていたアントニオ・ダマシオの本『自己が心にやってくる』をぱらぱらめくり、テキトーにあれこれ「ザッピング」して暇をつぶす。この本も脳科学の見地から、ぼくたちの脳がどんなふうに意識や心たちを生み出すのか(と書いて、「意識」「心」って数えられるんだろうかとか不安になってきた)、そしてこの脳がどんなふうに働いてこんなことを考えさせているのかあらためて空想してしまった。そんなこんなで時間も過ぎ、明日のZoomでのミーティングの草稿を見直して就寝する。ミーティングではぼく自身がスットコドッコイな発達障害者なりにどんなふうにコミュニケーションの「方法序説(つまり、『自分のやり方』)」を編み出したかについて話したいと思っている。知識を得て未知の領域を探索するぼくなりのクエストは続くのだった。