跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/01/18 BGM: Perfume - チョコレイト・ディスコ

その昔、ぼくは悪名高き「戦う哲学者」こと中島義道のエッセイを読んでいて、「哲学病」という面白い言葉を知ったのだった。哲学することをこじらせて生きづらくなってしまった人、と言えるだろうか。ならばぼくは立派な「哲学病」患者だと言える。そうした哲学的な考えを止められずに日々悩んでいる。とはいえ、皮肉なことに大学で学んだのは英文学だったので哲学をシリアスに学んだことはまったくないのだけど(だからその「生半可」なところが行けないのかなとも思う)。

今日、仕事を始める前にぼくはひどい鬱にさいなまれてしまってもう帰ろうかとも思ってしまった。というのは(アホみたいな話だが)そんな哲学的な考えが止められなくなって、深く深く考えをめぐらせていくにしたがって頭がおかしくなりそうになるのを感じたからだ。「今日がぼくの人生最後の日だとしたらどうなるんだろう(もし今日死んだとしたらやり残したことはあるだろうか)」といった――いや、本気で書いている。とてもこうした考えは深まり、どんどん複雑に・混乱したものになり、「この発達障害の特性が薬で治るような世の中になったらどうなるんだろう(飲むべきか否か)」といったことも考えたりした。「この地球が突然回るのを止めてしまったら」「時間が突然止まってしまったとしたら」なんてことまで。

でもおかしなことに、いつもこうした考えは仕事が始まると「引いて」いく。少しずつ、アイデアがぶんぶんとうなるのを止めて静まってしまう。上に書いてきたようなアイデアがもたらすプレッシャー(「突然死の恐怖」といったこと)が止まり、そうした病的でバカバカしい考えから解放されていく。仕事中鼻歌を歌うこともできるようになる――そして今日、ぼくはこの謎めいたメカニズムを解き明かす手がかりをもらったように思った。こういうことかなと思う。ぼくはただ、世界を目を見開いて見つめる作業が必要なのかな、と。それに尽きる。なぜならその種の哲学的な妄想・夢想に耽って・ハマっている時、単純にぼくは自分の心の中に閉じこもっているからだ。もっと外に出て自分を開いていくとそうした病的な心理を脱せる……のかなあ、と。

思い出す。ぼくはこれまで脳科学の本を何冊かかじってきた。茂木健一郎やアントニオ・ダマシオといった人たちの本だ。そうした本から、脳がいかにワンダフルな・すばらしい存在であるか教わってきた。ぼくの脳は広大な・深い海である。そこからぼくはほぼ無限にアイデアを汲むことができるだろう(ちょうど、リアルな海からほぼ無限にさまざまな資源を汲むことができるのと同じだ)。ゆえに、ぼくはこんなことを考える。ぼくの中にはミニチュアの海、あるいは小さな宇宙がある。そして外には「立体の」「三次元の」世界が広がる。ぼくとはそんな「内宇宙」と「外部」の結節点なんだろうな、と。

なんというか、「アホみたいなことを」「寝言は寝てから言え」な話かなとも思う。それはそうだろう。でも、もしこの考えが理があるなら、ぼくは理解できる。この世界にあるものはおおよそすべて謎めいており、そして面白いのだ。