跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/10 BGM: ACO - 悦びに咲く花 (SILENT POETS REMIX)

今日は早番だった。実は、今日の仕事を耐えられるとは思わなかった。仕事をしてしまうと頭がおかしくなると思ったりもした。ぼくはもうとっととグループホームの部屋に帰ってひきこもってしまいたかった。でも、職場に着くと身体が何をしたらいいか思い出した。信じられないというかナンセンスだと言うかもしれない。でも、ぼくの側から見ればそのようにして事実は展開したのだった。

身体は何をしたらいいのか思い出す。知っている――ぼくはマジメな哲学者ではない。身体がどれほど賢いか知り抜いている哲学者(例えば内田樹のような)……でもぼくは、自分の身体の中のどこかに眠れる可能性があるとも信じている。仕事は肉体労働なので身体を酷使というかたくさん使う(指、腕、足など)。もし身体を動かし始めたら、その動きにしたがってアイデアが湧いて出る。だから、ぼくはこう考えるようになった。考える前に動くこと。動きを止めないこと。昔流行った、「見る前に跳べ」という考え方だ。

でも、なぜぼくは仕事を続けるのだろう。この問いにぼくは答えられない。前に医師や、あるいは元友だちから言われたことがある。もう仕事なんて辞めてしまえ――そして、生活保護で楽チンに暮せばいいのだ、と(悪いことをしているわけじゃないのだから)。確かにそれが賢い生き方なのだろうと思う。でも、この2日間職場から逃げてはっきりした。もし仕事を辞めてしまってリアルから引きこもるとぼくは端的にバカになる。言い換えれば、大袈裟なと思うかもしれないけれど仕事はぼくの魂というかぼく自身を磨く手段なのだと思う。お金のことももちろんある。でも、そういう自分磨きも意味の1つだ。

ある女友だちがぼくに山田詠美の本を薦めてくれた。日本で人気のある作家の1人だ。彼女に答えた。実は読んだことがなく、女性向けの本と頭ごなしに決めてかかっていたのだ、と。彼女は答えてくれた。文学には性別はない、そうした性差を超えて文学は存在する――そうだ、確かに。だから仕事終わりに図書館に行き、『私のことだま漂流記』を借りた。でも、夕食後早々に眠ってしまった。まだまだ、骨の髄まで疲れ果てているようだ。