跳舞猫日録

Life goes on brah!

2025/01/02 BGM: Bruce Springsteen - Born in the U.S.A.

今日は早番だった。今朝、毎朝恒例の英会話関係のZoomミーティングに参加させてもらう。そこで今年のそれぞれのメンバーの抱負などをシェアし合い、どうしたら抱負を保ち続けられるか語り合う(ぼくは迷ったのだけれど、あまりたくさん欲張っても「虻蜂取らず」「二兎を追う者は一兎をも得ず」がオチだとも思ったので虚心坦懐に「夏目漱石の作品を地道に読み続けたい」と話した)。その後、職場に赴き今日の仕事を始める。午前中仕事をしつつ、思えば過去にぼくは自分の中にそれこそ巨大な、いつまでも尽きそうにない「怒り」があったなと思い出した。それこそ「腸が煮えくり返る」たぐいの「怒り」で、その「怒り」だけが原動力となってぼくを突き動かしていたのだった……と書くとなんだか変にカッコいいが実際のところはそんなクールなものではなくぼくの好きな曲の1つであるブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」の主人公のように、絶望的な怒り(やり場のない「怨恨」だろう)を抱えて、でもなにもできずどこにも行けない事実に打ちひしがれて町をさまよい歩く、そんなたぐいの「怒り」に文字どおり骨の髄まで侵され、取り憑かれていたことを思い出したのだった。

でも、情けないことにぼくはいまとなってはその「怒り」がどこから沸き起こったのか(つまり、なんでそんなに激怒していたのか)が説明できない。いや、少しばかり「でっち上げる」「アトランダムに並べる」ことならできる。悪いことなんてした覚えは(少なくとも意図的には)これっぽっちもないのに夢も希望もない貧乏暮らしに明け暮れるしかない身の上を強いられてきたこと、はなやかなロマンスの香りのしない(ソウルメイトと遭う可能性もありえない)孤独を生きざるを得なかったこと、いくら頑張っても成功する望みのない(なんら成長・向上する予感がない)暮らしに甘んじるしかないことなどが挙げられるだろう。もっとも、いまならわかるし認められることとして、その「成長」「向上」のための努力なんてぼくはこれっぽっちもしていなかった。自由時間はただ酒に溺れていて、あとにも書くが日々のんべんだらりTwitterに明け暮れていただけだったのだ。

「おれはひとりの修羅なのだ」といったことを(文字どおりの引用ではなくうろ覚えになってしまうが)記したのは宮澤賢治だっただろうか。あるいは梶井基次郎だって「檸檬」の冒頭だったかで同じようなことを記していたはずだが、ともあれぼくもそんな「修羅」気取りのただのへべれけの呑んだくれとして、「ムダに生まれてムダに酸素を吸って、このままなにもできず死ぬのだ」というバイアス(あるいは強迫観念)に取り憑かれて、その観念・信念が足を引っ張ってしまっていたせいでプレッシャーでなおさらなにもできず右往左往するしかなかったのだった(いや、書いていてなんだかほんとうに村上龍の作品、とりわけ『村上龍映画小説集』的な青春だったな、と思うけれど)。かすかに夢・野心はあった。村上春樹ポール・オースターみたいになりたい、作家として生きたい(せめて書くことに殉じたい)、という。でも実際のところは「忙しいから」「着想が湧かない」と逃げていたっけ。なんにせよ、1行たりとも書いてなかったことは認めないといけない。

そんな憑依された状態、言い換えれば強迫観念に支配された状態でぼくは若き日を生き、30代は(たぶん誰かか、もしくは宮台真司がらみの本にそそのかされたこともあって)自由時間をTwitterに費やして論戦で過ごしたことを思い出す。いや、そうそう始終論戦というわけでもなかっただろうがともかくもいまよりぼくの気性が「論戦的」……と言えばいいが正確なところ「愚連隊」的なメンタリティだったのは間違いなく、それでいまの言葉で言えば(不毛な感情論を交えた)「レスバ」でだらだら時間を食いつぶしていたのだった。あらためてすでに書いたことをなぞると、ぼくが完全に当時「怒り」(もっと言えば「不甲斐なさ」「やるせなさ」)に取り憑かれていたことは明白だ。でも、いったいなんに対してだっただろうか。当時の政権だっただろうか。いやたしかにぼくも「小泉は許せない」とかくだを巻いたことはあったが……でも正確にはぼくは自分がこんな発達障害を生きなければならない運命に怒っていたのかもしれなかった。なんにせよ、ほんとうに大事な時間をドブに捨ててしまった。あの時間でいろんなことができただろうな、とも思わなくもない(フローベールディケンズをめくってみる、など)。

でも、そんなことが言える(というか「のたまえる」のも)「いま」だからだ。なにもかもがもう過ぎ去ってしまった「あと」、いまぼくは断酒も叶ってグループホームにも住まわせてもらい、ほんとうに気を許せる友だち(畏友)にも恵まれなんとかこのみっともない・スットコドッコイな自分にも自信を持てるようにもなった。だからこんな「御高説」「ゴーマン」を書けている。でも、それは当時のぼくに届くだろうか? いま思うのは、どんなアドバイスが当時のぼくのような孤絶した・怒りに取り憑かれて我を忘れてさえいた人間に届くだろうか、ということだ。いや、なんでもかんでも(頼まれもしていないのに)アドバイスをする趣味なんてぼくにはないとしても、だ(それについては、去年学んだ重要な概念である「バウンダリー」を引くことにしたいなと思ったりもする)。