跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/06/20 BGM: Craig Armstrong - Time Moves On

この日記でも性懲りもなく毎日毎日書きつづってきたとおり、ぼくは実にトラウマに満ちた思い出を引きずったままいままで生きてきてしまった。今朝、仕事前にぼんやりしていると突然こんなことを思ってしまった。こうしたことがらについて、見つめつづけて書いていくことは健全なのだろうか。それとも、もっと汗をかき恥をかいて(トライアル・アンド・エラーを億劫がらず)克服することを目指すべきなのだろうか。実を言うとこんな思いが極まってしまい、誰かをランチタイムにデートとして誘ったり、あるいは低俗に響くかもしれないけれど「ナンパ」してみたりするのもいいのかなとさえ思ってしまった。

こんなふうに書きつけてきて……ぼくは自分が変われるのかどうか疑う。というのは、ぼくは自分が実際に変われること、成長できるかどうかその根本的な・たしかな可能性まで疑うからだ。でもこんなことはぼくがこの自分と毎日毎日、常日頃からつき合っているから近すぎて見えなくなってしまっているという簡明な事実によるものかもしれない。どう思われるだろう。英語を学びその英語で自分を表現するようになった頃のことを思い出す。その頃、ぼくはまだ自分の考えを日本語ですらうまく表現できず、したがっておどおどしてしまっていた。マクロな視点、高いポイントからそうした過去や現在を俯瞰するならぼくの性格というか人格は変わったのかもしれない。

変えられないことが1つあるとすれば(あるいは「変えてはならないこと」と言うべきか。なんだかニーバーの祈りみたいだけど)、それはぼくが発達障害者であるというたしかな事実だ。過去、そうはじめて診断された頃、そしてその発達障害あるいは自閉症について学ぶことについて肚をくくった頃、好奇心から来る学びの試みとしてぼくは一部でその日本語訳の「悪評」がかなり高い、講談社ブルーバックスに収録されているあのレンガのように分厚いスティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』まで通読してみたりもした。その頃、ぼくは自分がこの人生はこれからどんな権利も剥奪された狂人として生きないといけないのだと思い込んだ。アウトサイダーとしてノーマルな多数派から隔離され、そして一生をむなしく終えるのだ、と。

いやはや、なんともアホくさいバカバカしい考えだ。いまならぼくも「アホだ」とこの妄想を一蹴できる。でもそれはいまが2024年で1990年代でも2000年代でもないからだ。まだ「多様性」という発想がぼくのところに届いていなかった時代――まして、人の脳は多様なものだという考えを裏打ちする「ニューロダイバーシティ」なんて発想がまだ「画餅」としか響かなかっただろう時代のことを思い出す。2003年、33歳の頃にぼくは発達障害の診断を受けたのだけれど当時はぼくは自分に向けられたいいマニュアル(手引き)をどこに行っても、血眼で探しても見つけられなかった。いや、当時からオリヴァー・サックスやテンプル・グランディンといった方々が書いたマテリアルはあったはずだ。探せばもっと、ことによると「ぞろぞろ」見つけられたかもしれない。田舎で暮らしているとこういう不便は日常茶飯事なのである。

夜になり、今日の仕事が終わったあと夕食。その後Zoomでミーティングに参加するそこでホストとなる方がこの市にある世界遺産のレプリカ(模型や模造品)の数々の写真を見せてくださった。この国、引いてはこの市が外部の世界の影響をどんなふうに受けてきたかの立派な証明だと受け取る。ぼくの心は時折自分しか見えなくなってしまい、閉じてしまうことがある。とても狭い心になることも日常茶飯事。でも、心の窓を開けて「換気」することも大事だと思った。