跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/04/08 BGM: Cyndi Lauper - The Goonies 'R' Good Enough

今日は遅番だった。朝、R・D・レインの著作『結ばれ』と『好き? 好き? 大好き?』を持ってイオンまで行く。でも、読書に身が入らなかったのでさまざまなことを当てどもなく考えてそれを英語でメモするという作業にいそしんだ(いつもの時間の過ごし方に戻ったわけだ)。たとえば、Xのタイムラインを読んでいてふと日本のベストセラー、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』について思い出す。この本は面白い可能性を示していると思った。ある「非行少年たち」、つまり犯罪や破壊行為をやめられない子たちは脳に問題があり(認知のゆがみ、あるいは発達障害などが原因だろうか)、ゆえに世界を認識するにあたって困難を抱える、と。これはおもしろい、実に刺激的な本だと思った。教育を語る切り口が豊富だと。また読み返す必要があるだろう。

同じ世界を見て、同じ世界を共有しているとしてもぼくたちの世界認識はそれぞれ異なる――というのがぼくがこれまで学んできた真理の1つだ。言い換えれば、ぼくの脳は独特のものだ。あなたの脳だって同じことが言える。それがこのリアルを深く理解するための鍵になりうる。「多様性」という言葉だってつまりそういう意味なのだろうと思う。これについて考え、過去のことを振り返った。学生時代、ほんとうにおかしな子・変な子だと扱われていた時期のことを(だからぼくだってある意味、「ケーキの切れない非行少年」の1人だったのかなとも思う)。

90年代のことを思い出す。その頃、ぼくは「発達障害」「自閉症」という概念がどう扱われていたのか寡聞にして知らない(スティーブ・シルバーマンの傑作『自閉症の世界』を思い出す。この本ではその時期にこの「自閉症」は再評価されていた、と語られていたと記憶するのだけれど)。ぼくにとっては90年代とはとてもつらい・痛い時期でしかなかった。どのグループ、どのコミュニティにも所属できなかった(つまりあらゆる「人間関係」そのものからハジかれるだけで、人間としてさえ扱われなかった)。ぼく自身、自分を頭がおかしいとまで思い詰めたっけ。

なんとも恥ずかしいことだ。人生を、もうこうなったら独りぼっちで死ぬまで生きていくしかないとまで思い定め、誰の助けも期待できない・してはならないとも思って……でも時代は変わる。そんな「青の時代」のあと、友だちからもらった言葉がきっかけでぼくは脳科学や哲学を読むようになる。クオリアや世界認識についての考え方を学んだ。ああ、今日は本を読めず思い出話にふけるだけで終わってしまった。そういうこともあるのだった。