跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/02 BGM: P-MODEL - 美術館で会った人だろ

今日は休日だった。図書館に行き、そこでスーザン・ソンタグの本を何冊か借りた。その後、イオンに行きR・D・レイン『好き? 好き? 大好き?』を読み始める。実にすばらしい、驚異的なアイデアを授けてくれた本だった。主にぼくは、ぼくたちのコミュニケーションの可能性(その中心)を学んだように思った。この本に関する思いをブックレビューとしてFacebookやDiscordでシェアした。

ぼくたちの言語の主な目的とは何だろう? たぶんこの問いにぼくなら「意志を可能な限り適切に伝えること」と答える(初期の村上春樹の作品を思い出す)。そうだろう、と思う。でも発達障害を抱えてコミュニケーションで困る人間として、ぼくはいつも自分の言葉が基本的に無力・無駄と思わざるをえない。というのはぼくの思いはしばしば人の心のなかで歪められてしまうからだそしてそれは何らアブノーマルなことではない。コミュニケーションとはそういうものだからだ。でもこのレインの『好き? 好き? 大好き?』の中で、読者はぼくたちが行うさまざまなコミュニケーションがしばしば「不毛な」「ナンセンスな」結果を迎えることに向き合わざるをえない。

なら、ぼくたちはどのようにしてこの「ナンセンスな」結果を受け容れるべきか。コミュニケーションとは「意味ないじゃん」なものだ――というのが真理で、もう呑み込むしかないたぐいのものなのだろうか。もしスムーズにこれを受け容れられたら楽なことだろう。でも、あなたも思われるようにぼくはまだ自分の意志がスムーズにあなたに伝達できればと思う。そして同時にぼくは自分をあなたに接続させて1つになれたらとも思う。これがぼくたちが持つべきパラドックス(矛盾)だ。だから、レインのこの本はぼくに手がかりを教えてくれるように思った。この深いジレンマにどう向かうべきか。その手がかりを通してぼくたちはそれぞれの答えを見出してタフな人生を生き抜く必要があるのだろう。

日本語でぼくたちは便利な言葉を持っている。「寝溜め」だ。英語で説明するなら「眠りのストック(在庫)を持つ」となるだろう。午後、ランチを食べたあとぼくは2時間も寝た。その後ぼくは岸政彦『にがにが日記』を読み始め、彼が自分の人生を「残り少ない」と書いているのを見つけた。ああ、彼は50代のはず。ぼくもそう若くないことに向き合う。

充分に年老いた人間として、どう残りを生きたらいいんだろう。でも、いずれにせよ人生とは「そういうものだ」(カート・ヴォネガット風に)。