BGM: The Dust Brothers - This Is Your Life (Feat. Tyler Durden).
今日、ある友だちがぼくに訊いた。「あなたの人生は定型発達の人よりもしんどいですか?」。これはぼくにとって面白い質問だ。というのは、「もう1つの人生」「別の人生」というのがどんなものかぼくにはイメージできないからだ。昔、ぼくは発達障害がなければこの人生はもっといいものになった(理想だった)と思ったりしたものだ……。
昨日、ぼくは自分自身のことを「ちっちゃい人間」と書いた。今日、ぼくは鶴見俊輔のインタビュー集成『期待と回想』を読んだ。彼は自分自身のことを邪悪な人間と規定している。このアイデアはぼくに近しい。あなたは否定するかもしれないけれど、でもぼくは言う。ぼくだって悪だ。それはぼくのトラウマに満ちた日々から来ている。いじめに遭ったり、発達障害者と診断されたり……でもたぶん、根っからの性格がこのネガティブな考え方と親和性があるのだろう。この地べたから、ぼくはいろんなものを見たい。
今日、ぼくは図書館でブレット・イーストン・エリス『アメリカン・サイコ』という小説を借りようと思った。でも図書館は閉まっていた。ああ、なんてこった。だからあきらめた。なぜぼくがその本を借りたかったかというと、上に書いた友だちがこの小説を読んだことがあるか訊いてくれたからだ。答えは「イエス」。2度か3度読んだはずだ。いま、ぼくはこの小説の主人公パトリック・ベイトマンの生活に興味を持つ。ご存知だろうか、彼は狂気をこじらせ破壊的な振る舞いを始める(とりわけ、女性たちやホームレスたちをいたぶる)。でもぼくの見解を言えば、彼はこの消費社会が作り上げた存在だと思う。確かに、ぼくは殺人なんて肯定できない。でも、繊細で生きづらい思いをしている人の心のケアは必要ではないか。今回の読書から何を得られるだろう。なんだかドストエフスキーの小説を語っているようだ。
でも……上に書いた友だちの女性といい、どうしていろんな人がぼくのところに来るのか。実際、Discordのぼくのグループ(いや、「ぼくらの」グループ)は100人ほどの人がいる。もう1度。ぼくの立場から言えば、ぼくはカリスマではぜんぜんありえない。でもある人たちはぼくのことをクールで尊敬に値するという。奇跡だ……嘘はつかない。ぼくから言える真実だ。