跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/11/30 BGM: Manic Street Preachers - Nobody Loves You

今朝は4時に目が覚めた(そう、まだ不眠は続いているのだった)。いつものように日記を書く。そして、ぼくの中にある最近の関心事について友だちとDiscordで話をする。ハイデガーウィトゲンシュタインについて、そして感情と批判的思考の関係について(別の言い方で言うと感覚とこの脳の関係について、だ)。この世界にあるさまざまな謎にぼくは惹きつけられてきた。たとえば「なぜ、そしてどのようにしてぼくやこの世界はこの現実の中に『ある』『存在している』のだろう」といったことだ。でも、その友だちと話をしていてぼくはどうしてそんなややこしい自分自身を抱えて生きているのかについて考えてしまった。チャットを済ませたあと、ぼくはR・D・レインの本を読むことにした。いいアドバイスをもらえると思ったからだ(ちょうど『好き? 好き? 大好き?』が文庫化されていたタイミングでもあるのでいいかなと思った)。

今日は早番だった。昼休み、ぼくはいつものように過去の日々を振り返った。「ジョブコーチとの遭遇以前」の時代。その時代はぼくにとってどんな時代だったのか。いま、そのひどい時代を思い返すことができない。昨日の断酒会のことを思い出さないといけない。そこで他の参加者の方にぼくは自分の惨めな思い出を話したのだった。この世界が滅びればいいと願ったこと、親や……いや、ぼく自身がとっとと死んでしまいたいとさえ思ったこと。でも、理由はひと口では言えないけれどぼくはアルコールを断ち新しい人生を歩むことにした。いまに至る人生だ。

勤務中、ぼくはこんな出来事を思い出した。前に、ぼくは万策尽きたと思ったことが合った。未来に何の希望も持てなかった。鬱に陥った……でも、姫路に行ってそこで自主制作(だったかな)の映画を観た。大原とき緒『ナゴシノハラエ』という映画で、とても抽象的で難しい映画だった。でも、いろいろなことを考えさせてくれた。そして突然、そんな思いに浸っていた時に、ぼくは「ああ、こんなふうにしていろんなことを考え続けられる。まだぼくの中にはエネルギーに満ちたエンジンが存在する」と思ったのだった。

たぶんこんなふうにして、人生の終わりまでぼくは考え続けて生きるのだろうと思う。それも人生かな、と思う。