跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/11/28 BGM: SAKEROCK - スーダラ節

昨日の日記では書けなかったのだけど、昨日ぼくは三木那由他『言葉の展望台』を読み終えた。この本はすばらしく面白いアイデアをぼくに授けてくれた。もしぼくが他の人に何かを話しかけたとする。それはぼくの中にあるアイデアを伝えている。それがコミュニケーションだ。でも、それは相手にぼくがこの閉ざされた頭の中で何を考えているか考えさせてもいる(その人たちにとって、ぼくの心とは閉ざされたブラックボックスの中というか秘密のテリトリーにあるからだ)。言葉を交換するということは、会話が進むに連れてこうした予期しないステージに人を運ばせることでもある。この世界はカオスでワンダフルだ――三木の本をぼくはそう読む。とても「リアル」な本だと思う。

確かに、意志を伝え合うという営みはしばしば続けていくことが難しい。ぼくは48歳なのだけれど、いまなお悩ましいストラッグルにぶち当たっている。毎日、毎回(いや、もうこれは「始終」と言ってもいいかもしれない)。コミュニケーションはぼくたちが思っている通りには運ばない。人生というものが、美しい未来を描かんとイメージしたようには運ばないのと同じだ。

今日、職場でキレそうになった。そこで理不尽な出来事に遭遇したからだ。ぼくは能うる限りマジメに働いているのに、同僚の方はもっと仕事をしろと言う。彼らは手を止めて雑談している。こんなことがしばしば起きる。ぼくは自由意志や純粋な心を殺してロボットにならないといけない。

ぼくはLINEでジョブコーチにこのことを話した。暴言も混じってしまった(暴力的な言葉、つまり「この職場は[自主規制]のパラダイスだ」というような)。ジョブコーチは懇切に答えて下さった。彼女もまたできる限りのことを心がけている、とおっしゃった。ぼくもそれを疑うつもりはまったくない。ほんとうにありがたい。もしぼくたちが出会っていなかったら、このジョブコーチ支援も実現されなかった。職場でむなしく孤独感・孤絶を感じて苦しむだけだっただろう。

ああ、あの日の出会いがなければ。ぼくはこのことを想像する。今でもなお。