跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/06/15 BGM: Galaxy 2 Galaxy - Hi-Tech Jazz

今日は早番だった。実を言うと昨日の陰鬱な感情を引きずったままで、もう今日は仕事どころではないとさえ思った。働くなんてどだい無理なことで、もう逃げて自室で布団の中にくるまって過ごしたい、と。でも、そんなことでどうするとも思ってしまった。なにも事態は好転するわけがない(もちろんこれは「あなたが」仕事を休んだり逃げたりすることを牽制するものではないです。念の為に)。だからしょうがなく、外の流れに合わせて自分を「則天去私」よろしくエゴを消し去ってしまおうと思った。ボブ・ディランの名曲のひそみに倣い、深く考えすぎず身体や神経組織の動きをそのまま楽しむこと。外の動きに反応してしまうそんな自分を俯瞰した境地から楽しめたらと思ったのだった。

最近ぼくが読み始めた本で、松岡正剛というきわめてユニークな批評家・読書家の大著『フラジャイル』というものがある。この本の中に、ぼくの心は実に「フラジャイル(『脆弱』『繊細』というような意味だ)」なもので、マグロの肉のかけら一切れを胃の中に入れることで心のありようがたやすく変化するといった表現が使われていたと記憶する。実に松岡正剛のこの言葉は印象深く、さすがだと唸らされる。上に書いてきたとおり、ぼくのムードにしても連続的な肉体的・物理的(かんたんに言えば「具体的に手足を動かす」)動作で変容したのだった。

そんなこんなでお昼休みに、日本のポストロック・バンド(だと思う。よく知らないのです)のザゼンボーイズの曲を堪能する。ポリリズムというのだろうか、複雑なドラミングやベースラインがもたらす旨味の効いたグルーヴに唸る。心が晴れるのを感じた。LINEでジョブコーチの方からメッセージをいただいていたので、しばしメッセージを交換する。情けないかなとも思うが、そのジョブコーチにぼくは自分の弱さを正直に明かすことに務めた。他の同僚の方から石ころよろしく役立たずの物体のように思われているのだ、だから誰も話しかけてくれたりしないのだ、といったことを書いた。ジョブコーチの方からはそうした感情を「高次のステージ」「別の次元」から「メタ認知」で捉えることを薦められた。そうすることで、「ああ、自分はこんなにも心が弱っているのだな」と正気を取り戻すきっかけが掴める……ということかなとぼくは思った。

彼女が嬉しいニュースを1つ教えてくださった。ここでつまびらかにできることとは思わない(まだ彼女の許諾を得ていないので、そんなになんでもかんでも開示してはいけないとも思う)。でも、それはぼくを喜ばせるに充分なことでそのニュースを知ったことでいかにぼくやそのジョブコーチ、そしてぼくの友だちといった「仲間」の汗臭く泥臭い試みがムダではなかったのか知ったように思った。ああ、こんなこともあるのだ……もしあの日、とぼくは想像する。あの日、ぼくがジョブコーチの方とお会いしていなかったらどうなっていたか。そうなればぼくはいま持つ夢・野望を抱くこともなかったはずだ。ここと外をつなぐ橋のような人間になる、といった思いを持つこともなかった……たとえば職場でぼくは発達障害者として働いているが、その仕事を通して他の発達障害者や精神障害者の方と職場をぼくの働きを通してつなげられたらいいなとかすかに夢見ている。プライベートでは英語学習者として、この市と世界をつなぐ橋になれたらなと思う。ああ、こんな試みも野心も、そんな出会いがなければ実現もなく、夢を持つこと自体完全に諦めきってしまってゾンビのような人生を生きていたはずだ。

仕事が終わったあと、グループホームに戻る。友だちとZoomかDiscordで英語の練習を兼ねて話をしたかったのだけど、すでに充分くたびれ果てていたせいもあって眠ってしまいなにもできなかった。読もうと思っていた松岡正剛『フラジャイル』の続きも読めずじまい。オーマイガー!