この日記でも書きなぐってきたことだけれど、基本的にはぼくはただのとある企業の一従業員である。だから、このイシューについてそれこそリキを入れて学び続けてきたアカデミシャン(学者・専門家)というわけではまったくもってありえない。謙虚を装うつもりはなく、これは誰が見てもわかる真理・真実なのでそれを隠してコメンテーターを気取ってもメッキが剥げるだけと思い、書いておきたい。アホみたいに大量の本を読んで人権や平等について考えた過去もないでもないけれど(それこそライトノベルから古典、文学や哲学の古典からあぶくのような書物まで読みまくった)、それに加えてぼくの場合これらの概念は外でたくさんの人との交流で(職場で働いたり、リアルやオンラインでのミーティングに出たりして)揉まれて「皮膚で」「身体で」学んだかなと思う。そう、それは実に得難いレッスンだった。
午前中、ドクターに会うために通院する。しばし現況について話し合ったのだけど、実は前夜ぐっすり眠れずしたがって自分がどんなトラブルを抱えているか話せるほど頭も回らなかった。その後、午後に仕事を始めた後にジョブコーチが会社に来られてそしてジョブコーチ面談を始めた。今回は一緒に仕事をする同僚の方も交えて、3人でしばし話し合う。その方に、ぼくは自分の本音を語れるだけ語り、過去のトラウマに満ちた思い出を少しばかり打ち明けた。
だけど、突然心のどこかでこんな声を聞く。「ホントか?」「お前は嘘つきだ」という。そう、ぼくは嘘をついてきたかなと思った。いや、フェアな立場から言うとまだ10代にも満たなかった子どものころ、ぼく自身も他の子どもがやっていたクラスメイトいじめに加担したり、あるいは傍観したりしていた過去がある。だから、ぼくはつねづね自分のいじめられっ子としての経験を書いているがまったくの無垢というわけではなく、一方的にいじめられてきたと主張することなどできない。ぼく自身、いじめという行動が生み出しうる「旨味」を知っているつもりだ。このことを告白し、認めたい。とても恥ずべきこととして……この過去の記憶は消せない(もしくは、そうしてはならない)。心して向き合い、そしていまからでも「おかしいことはおかしい」と言える人間でありたいと思うのだった。いや、このことについて考えると結局ぼくはなんだかんだいって日本に暮らすエッチな弱虫なんだという事実に立ち返らなければならなくなるのだけれど。