過去にひどいヘビードリンカーだった頃(毎日毎日書きなぐっていることなのだけれど、結局この事実を無視してはぼくは何ひとつ語れない)……その頃、ぼくは実に「クソ真面目」かつ「短絡的」に人生に絶望しきっていた。その時期、桜はぼくにとってあまりにも「アウェイ」というか「遠い」シロモノでさえあった。だから桜に感動することもなかった(したかもしれないが、そんな時にしたってつとめて「感動しちゃダメだ」と思ったかもしれない)。桜は遠いもの、無縁のものだと思い込もう、として……その頃は読んだことはなかったのだが、ある意味ではアルベール・カミュが記した小説の世界さながらの不条理で哲学的な世界に入っていたのかもしれなかった。ということはぼくはムルソーだったのだろうか。
ある意味、アウェイの世界を生きる「ビジター」というか「エイリアン」というか……この世界を異なった、おかしな観点から見つめる男。いわば変人・奇人。ある意味ではそれは正しいことだった。33の歳にぼくは自分が発達障害者であることを知り、その概念から自分がなぜ奇妙な、珍品の小説や音楽に惹かれるのかを知ったのだから(世界というか、マジョリティの方が正しかったのだ)。その後、40まで「孤独な」生を生きることとなる。40の歳に自助グループとつながり、両親のありがたみを知り、そして……。
もう察しがついているかもしれないけれど、この島国では「クレバー」「目ざとい」一部の人たちがこんなことを言う。「ヨソモノであれ。人と違うことをしろ」と。なんだかアップルやそれに追従する会社のモットーを連想させるが、ぼく自身もあまりにも自分が珍妙な人間だったので毎日をそれこそ「居直って」「とことん変に」生きようとしたっけ。だから馴れ合いを嫌うという名目で「ホーム」「住まい」を持つことさえ拒否し、「ヨソモノ」としての生を生きようと考えたりしたのだった(もっとも、その頃ぼくは両親と同居していたのだった……)。40になり、米を炊いたり味噌汁を作ってみたりする自炊の練習やプレゼンテーションをこなすということを経て、そんな試行錯誤の末にこの郷里(文字通り「ホームタウン」)に愛着を感じるようになる。
桜の話から話題がずいぶん脱線してしまった。村上春樹『羊をめぐる冒険』を読破したことを書きたかったのだけど、その余裕がない……オー・ノー!