跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/01/27 BGM: b-flower - 舟

夜にDiscordで、他の友だちとミーティングに興じる機会があった。そこでぼくたちは、どのようにして各々が読書タイムを費やしエンジョイしているか情報を交換し合った(どんな音楽を聴いているか、どこで本を買っているか、などなどだ)。楽しい時間をすごせてありがたかった。そして、そうした興味深いトピックの1つとしてぼくたちはそれぞれの好きな作家・作品を教え合った。誰の本がそれぞれのメンバーの考え方に実際に影響を及ぼしているか。とても興味深い質問だ。誰のアイデアがぼくたちの考え方を構成しているだろうか。

この問いに答えるためには、ぼくは少年時代に戻っていかないといけない。実を言うと元来、ぼくは読書好きな子ではなかったのだ。このことについて嘘をつく気はない。子どもの頃本を読んでいたかもしれないとは言え、それらの本からどんなことを学べていたのかもういまとなっては思い出せない。「その時」「その機会」、つまり運命のあの日が来るのを待たねばならなかった。

16歳になり……ぼくはあるクラスメイトが持っていた村上春樹の初期の逸品『1973年のピンボール』と出くわす。読ませてもらい、そして春樹という作家の存在を知り興味を抱いた。そして彼の『ノルウェイの森』(すでに「純愛小説」のベストセラーとして名高かった)に興味を持ち読んでみた。それが読書生活の始まりである。ああ、こんなふうにして春樹の作品と出くわさなければぼくの青春はどうなっていただろう。すでにぼくは充分に独りぼっちの生徒で、でも春樹の本がいつもそばに護符・お守りとしてあったことを思い出せる。

村上春樹でけではなく、他にも好きな作家は数多といる(彼らの作品がもっと英訳されていれば、少なくとも無視されることはなく確実にある層の読者の心を掴みうると信じる――つまり、世界水準のものを書いていると)。田中小実昌保坂和志(は英訳されていたかな)、などなど。彼らの仕事を紹介することはできない。ぼくは生半可な読者でしかないので……でも、彼らの仕事はいつも素晴らしいものとしてぼくの中にある。

真夜中の満天にまたたく星のように、たくさんの本がこの世界に存在する。あまりにたくさんあるので読み切ることなんてできるわけがない。どれだけ完璧・完全無欠な読み手になろうとして挑んでも、たとえば図書館にある本を一念発起して読み切ることなんてできるわけがない。それがぼくが「小さな人間(パスカルに倣って言えば『葦』としての人間)」であるという意味だ。ぼくの心はコロコロ変わる。たとえば、今日だってトルーマン・カポーティの処女作をまだ読んだことがなかったことに気付かされたり、積読のままの安部公房を読みたいと思ったり……あきれるほどコロコロ変わる。ああ、自分がわからないというか、無責任すぎて怖いというかなんというか。