跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/01/07 BGM: The Bluetones - If...

今日は早番だった。今朝、何人かの女の子(いや、「女性」かな)が晴れ着を着て歩いているのを見かけた。それでぼくは、今日はぼくの住む町で成人の日の催し物(祭典)が行われていることを思い出したのだった。ぼくは過去に、自分がハタチだった時実際はどうだったかを思い出そうとする。でも、たしかなことを何も思い出せない(言うまでもなく、それはとても遠い遠い昔のことだ)。

事実を1つずつ記していこうと思う。その当時、ぼくは東京に住んでいた。具体的に言えば早稲田に在籍していたのだった。でも、思い出してもぜんぜん楽しい記憶はよみがえってこない。あの日々、すでにぼくはとても激しい欲求不満にさいなまれてひどく生きづらい思いをしていたのだった。世界に対して巨大な怒り・憤りを煮えたぎらせていたし、自分自身のことについても自己嫌悪に取り憑かれてどうしようもなかった。だから、式には結局出ずに終わってしまった。

そうした日々にいま一度目を向け、振り返ってみて思う。たぶん当時のぼくはそうした成人の日の式典が無意味に決まっていると頭ごなしに決めつけ、バカにしていたのだろう。そして、もっと言えばそうした式典に興じる人は「洗脳されている」とか思っていたのかもしれない。たとえば、成人式なんて「しあわせの押しつけ(ファシズム)」だとか日本でおなじみの悪名高い概念である「同調圧力」だとか……書いていて、なんだかどれだけ自分がみじめったらしくてアホな人間だったのかあらためてわかってきて汗顔の至りだ。いま、ぼくはそうした催しにはたしかな、大事な意味があると思う。そうしてぼくも変わってきた。それが人生ってことだろう。

おそらく、1995年という年(ぼくがハタチだった年だ)はとうてい明るい未来に向けて輝かしく生きられた1年というわけではなかった。すくなくとも、ぼくの個人的な印象としてはそう思われる。その年、阪神淡路大震災が起こった。そして、オウム真理教が戦後史に残りうる地下鉄サリン事件(一種のテロリズムと呼ぶこともできないだろうか?)を起こした。そして、平成不況はいまだ深刻でとてもハッピーなムードが漂っていたとは思えなかった。

そんな不幸な「大人へのとば口としての1年」のあと、ぼくはいろんなできごとを体験しなくてはならなかった。今年、ぼくは49歳になる。もうぼくは立派な大人になった、と言えるだろうか。誰にもわかりっこないことだ。でも、少なくともぼくがこの人生で体得した大事な教訓はそれなりにいくつかある。そのうちの1つはこれだ。ぼくは、他人を拒絶して人生を生きるわけにはいかない、ということ。過去にぼくは、誰も頼りにできない、誰も信頼できない、誰にも甘えてはいけない、と思い込んでいた。だから1人で生きないといけない、と。ゆえに、どんな協調関係も築けなかった。サークルを築いてもつぶしてしまい、友だちともすぐ仲違い・喧嘩別れの日々が続いて……でもいま、ぼくの職場や私生活を見てみると実にいろんな友だちとの仲がゆるやかに続いているようだ。ああ! これについてはもっと考えを煮詰める必要があるだろう。