今日は早番だった。今朝、ぼくは過去のつらい日々を思い出してしまった。実はこの季節はぼくが迎えるタフな季節の1つだ。手短に言えば、クリスマスと年末そして年始にかけて。実はぼくはデパートで働いているのだけれど、この時期はビジネスチャンスなのだった。だから多忙を極める。過去、10年ほど前のこの時期ぼくは別の部署にいた。そこで仕事についていけなくなって、環境を変えようとした。でも何もできず……だからたくさんの薬を飲み仕事をうっちゃろうとした。いや、仕事だけでなくすべてを。
そして……致命的な事態を逃れた。店のトップがぼくは自宅待機すべきだと命じ、そして3ヶ月自宅でとどまった。その3ヶ月、ぼくは絶望に浸っていた。人生は終わった。何もかも諦めよう……いや、もともと望まれて生まれてきたわけではなかったのだとさえ思った。ま、ありがちなカッコ悪い話。でもぼくは正直に/大真面目に書く。でも、神はぼくに「第2章」、「第2の青春」を授けてくれたのかもしれない。そのことについても書きたい(近々書くかもしれない)。
午後、ランチタイムにぼくはチバユウスケの訃報を知る。驚き、そして少し泣いた。過去に、ぼくはこう頑固にも信じていた。時折ぼくたちはクリシェとして言う。死者を弔うために……「天国でセッションを楽しんでほしい」というように。でも、これはおかしい。というのはこれはもう想像における自慰・自己満足でしかないからだ。なぜ? 死んだ人はこの世にもういない。どこにもいない。エゴイスティックで愚かしい生者だけがそう想像して妄想する――だからバカげている駄ボラだ。と。いや、極端過ぎるアホくさい考え方だ。でも、こう信じていたのだった。
でもいま。ぼくはチバさんに言う。「アベフトシさんや他のすごいミュージシャンとセッションを楽しんで下さい」、と。こうした死者を呼び起こす試みの中に、彼らは生きて活躍し続けるからだ。死者の思い出を保ちつづけることができる。そんな意義深い思い出を手放すことはしない。安らかにお眠り下さい。そしてチバさん、ありがとうございます。