跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/05/26 BGM: The Beatles - The Fool On The Hill

今日は休みだった。午前中、山へ行ってそこで考えごとをする。「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのことである」(『論理哲学論考』p.147)と語ったウィトゲンシュタインのひそみに倣って言えば、この山は実に「裏切らない」。この大きな世界が持つ豊穣さについてていねいに教えてくれる。私も含めた人間たちが織りなす社会がいかにちっぽけでせせこましいものかがわかってくるし、そんな社会を超えた世界が存在しうることが私たちの現実を実に神秘的なものとして彩るとも感じさせる。いつも書いているが、昔は東京暮らしに憧れていてこんなど田舎に住む両親のことをぜんぜん理解できなかった(正確には私が歩み寄って「理解しよう」ともしていなかったのだった)。今でも都会にまったく憧れを抱かないというわけではないが、それでも不便さに慣れてみるとこの暮らしも捨てたもんじゃないと思えてくる。「自然は裏切らない」「自然は嘘をつかない」とも思う。少なくとも、今はここから「出ていきたい」とは思わない。この町に愛着というか、大げさに言えば「郷土愛」を感じる。山の中で聴くビートルズ「フール・オン・ザ・ヒル」は格別だった。

「フール・オン・ザ・ヒル」の「フール」は「愚か者」という意味である。「ヒル」は「丘」。つまり「丘の上」にいる「愚者」はその透徹した眼で世界の神秘を見通していた……というような内容だ。私も、多分自分はそんな「愚者」なのだろうなと思う。その愚かさゆえに世界を見渡し、本質を見抜ける人間なのかなと……今はインターネット時代。この星がどエラい勢いで「1つ」の「グローバル・ビレッジ」になるのがわかる。ふと木村花さんのことを思い出した。5月23日が痛ましい命日だったということもあってだろうか。ネットでの誹謗中傷に悩まされて自ら命を絶った彼女のことを思い(彼女についてもっと学ばねばと思う。こんなことが繰り返されないためにも)、ネットが決してバラ色の希望ばかりの空間ではないという当たり前の事実について思う。「宍粟市の愚者」として、私はネットを通じて世界とつながっている。決して「賢者」ではありえないのだけれど、日々その愚かさと向き合いそして学びを自分の中に取り入れようとしている。それが成功しているかどうかは私にはわからない。読者諸賢の判断を仰ぎたいと思う。

鳥飼玖美子のエッセイを読んだ。彼女が同時通訳者として活躍してきた自分自身の人生を通して、いったい人生における「天職」との出会いはどこから来るのかについて語っている。「天職」か……これに関してはほんとうに「人それぞれ」「人生いろいろ」としか言えないのではないかと思う。10代のうちに見つけられる人もいれば、それこそ人生も後半をすぎても見つけられない人だっている。何を隠そう、私自身今の仕事が「天職」なのだとは未だに思えない。20年以上やってきて身体に「なじんで」きたとは思うけれど……もしもありとあらゆる制限を取っぱらってあれこれ好き勝手に語れるなら、私の「天職」はこうして書くことなのだろうと思う。あるいは学ぶことそれ自体と言ってもいいのかもしれない。それは「好きで」続けてきたこと、それをこなしていれば「無心」になり「心の平安」を感じられることだ。確かに今の私は書くことで一銭も生み出せていないしこれからもそんな僥倖は起こらないだろう。でも、食い扶持の問題ではなく今は日本という国で「宍粟市の愚者」の視点から好き勝手に書ける。幸せとはそんなふうなものなのかなあと思う。

そして、鳥飼玖美子に倣って自分が英語で「成功体験」を積んだと実感できたのはいつだっただろうかとも考えたのだった。今のように英語を本腰を入れて学ぼうと決意するようになった経緯……いつも書いているけれど、13の歳から英語を学び始め大学では英文学まで学んだにせよそれはそんな「成功体験」とは無縁のものだった。なにせ今のような信頼できる友だちを持たずただじっと教科書とにらめっこで英語を学んでいたのだから、言葉が通じたと実感したという「成功体験」なんて積みようがない。裏返せば、英語学習で勇気を出して他者とコミュニケーションを積むことが大事なのはそうした「成功体験」をもたらしてくれるからだ。今だって私にとって、英語で話すことはミクロな「成功体験」を得ることである。40の歳、断酒して人生を生き始めようと思った頃、MeWeで友だちから「あなたの英語はクールだ!」と言われたことを私は未だに忘れられない。リアルでも英語を褒められ、そこから火がついたのだった。私は「宍粟市の愚者」として、今日も永遠に終わらない学びの旅を続ける。"And the eyes in his head see the world spinning around(そして彼の眼は、世界が回り続けるのを見つめている)"。