いつものことではあるのだけれど、今朝もふと「もうダメかもしれないな」と思った。根拠はない。ただ、いつも書いている英語のメモにしたって「昨日まで書けていたのが今日になって書けないということもあるかもしれない」とも思うことがある。この考え方は突き詰めれば「昨日まで太陽は東から昇ったのに、今日は西から昇るかもしれない」となってしまう(哲学的にはこの考え方はあながちナンセンスとも言えないとは聞くが、現実的には一笑に付されるものであるはずだ)。それで、ずいぶん自分の中で「もう帰って寝ようかな」と思ってしまったのだけれど仕事をし始めたらできてしまった。なぜできてしまうのだろう? これは私にとって永遠のテーマとなりつつある。
今日は夜に宍粟市国際交流協会が開く、市内の外国人の方と親睦を深めるお茶ットルームがあるとかで昼休みに自分なりに話したいことを煮詰めた。発達障害のことを話そうか、これから行われるという英会話教室の話をしようか……その会合では英語で話すことになるので、私は結局そうした英語を使う機会で自分を表現することが好きなんだなと思った。仕事をしていると英語を使う機会はめったにないので、必然的に私の英語は評価されない。でも他の機会でならこうして私の英語が活きる時が来る。それも人生なのかもしれないなあ、と思ってしまった。ジョブコーチの方が私の英語を評価して下さっているのでまた風向きは変わるかもしれないのだけれど。
とはいえ、計画を煮詰めて「このことも喋ろう」と考えすぎるのも考えものではある。コミュニケーションは音楽におけるジャムセッションと同じでその場になってみないとわからないことが山ほどある。発達障害の人間が一番困ることの1つはそうした土壇場での先の読めないコミュニケーションなのだけれど、それに関しては私も発達障害を考える自助グループや他のグループでのミーティングに参加するようになって「場数を踏む」経験をしたのである程度なら何とかなるかな、とも思う。この「何とかなる」がクセモノなのだ。なぜ「何とかなる」のだろう。根拠なんてない。ただ、仕事も私生活も自分では自覚していない能力が発揮されて「何とかなる」のだった……。
夜、そのお茶ットルームに参加する。市内の中学校に勤める英語教師の方のプレゼンテーションと、今回のメインイベントである水引を作る時間を楽しむ。特に水引は私のような不器用極まりない男にはなかなか難しかった。時間を忘れて熱中してしまう。講師の方の鮮やかな手の動きを見せてもらい、どの世界でもエキスパートはいるものだと唸る。楽しいひと時だった。帰った後、何だか頭が発熱したような感じがしたので眠ってしまう。単に日頃の睡眠不足が祟ったのだろうと思う。もう若くないのである……今年で私も48歳。脂っこいものは控えて日々「腹八分目」の生活を心がけないといけないのだな、と思った。