今日は早番だった。昼休み、英会話教室の宿題を済ませる。自由課題の作文の宿題に、私たちの住む宍粟市をテーマに文章を書く。私はなんだかんだでのべ40年以上宍粟市に住み続けていることになるが、十代の頃はこの市からずっと逃れたいと思う気持ちでいっぱいだった。なにせ本当に『ツイン・ピークス』もかくやという田舎町なので、アミューズメント施設もなければタワーレコードやジュンク堂書店のように買い物を楽しめるショップもなく、イオンが最大の遊び場という状況なのだった。十代の自分にとってはそうした状況はただ退屈なだけで、どうして自分がこんな田舎町に閉じ込められて閉鎖的な空気の中で生きなければならないのかわからなかった。買い物を楽しもうと姫路まで出るのにどうしたって最低でも一時間はかかる。そんな土地なので退屈極まりないと思っていた。
何度もこの日記で書いてきたが、私は発達障害ゆえに人からいじめられることが多い人生を歩んでいた。だからイオンに行ってもいじめっ子と会うことがあり、そうすると彼らの視線が端的に「刺さる」ものとして感じられた。それもあって、東京や大阪に出たいという気持ちが高まった。そんな状況で鬱屈した青春を過ごしていた自分を見るに見かねて神様が幸運を授けて下さったのか、私は東京の大学に行くことができた。だが、東京に住んでみるとまた違った気苦労が待っていた。東京の土地勘をつかむことができずに何度も迷子になり、複雑極まりない地下鉄のシステムにいつも混乱し、食べるものも高価くて困った。幸いにも私の通っていた大学の近所には学生向けのレストランがたくさんあったので、食べるものには苦労しなかったと言えば言えるのだけれど(学食もあったし)。
そんな東京生活を過ごして、結局就職がうまく行かなくてこっちに戻ってきて……今はいじめられることもなく、宍粟市の生活に馴染めるようになった。水も美味しいし、山々の樹々の緑も美しいと感じられるようになる。インターネットの普及もあって彼我の文化的な格差を感じることも少なくなった。田舎にいてもサブスクでスライ&ザ・ファミリー・ストーンを聴いたりデ・ラ・ソウルを聴いたりできるし、ネットフリックスの映画を観ることもできる。そうすると東京にこだわる理由もなくなり、田舎町の平穏な空気の魅力を今一度確かめることもできてこの町に魅力を感じられるようになった。今はこの町の生活が好きだ。のんびりこの町でDiscordなどを使って英語を学び、そして読書に耽って過ごす。酒も断つことができたし、これが幸せなのかなと思えるようになったのだった。
夜、英会話教室に行く。そこで今回はパーティの時間を設けてもらって、参加者の方が持ち寄ったクッキーや紅茶などをいただきながら楽しい時間を過ごす。ギターを持ってこられた方の演奏に併せて「カントリーロード」を歌ったり、先生がフルートを演奏されたりして音楽を楽しむこともできた。先生が大江健三郎に興味を示されたので、図書館に行けば『大江健三郎自選短篇』があるということをたどたどしく英語で説明したりもした。今シーズンの英会話教室も終わり、改めて英語は座学ではなく実地で話して恥をかいてナンボのものであるという基礎の基礎を確認する。そして、このグループでつながらせてもらった方のLINEグループの参加者も増えてきた。私も今ではいろんなところに友だちを持ち、交友関係を築くことができてきている。人生、いったい何が功を奏するかわからない。だから生きることは面白いのかもしれない。