跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/07 BGM: Nirvana - All Apologies

春めいてきたのを感じる。前にも書いたかもしれないが、春はあまり好きな季節ではない。暖かくなってくるとかえってその気候に心乱されてしまう。思い出すのは大学生だった頃、この時期にニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンが自殺したニュースが届いたというものだ。そりゃないだろう、と今になっても思う。いくらバンド名が「涅槃(ニルヴァーナ)」だからって。小林秀雄だったか、「人は死ねばわかりやすくなる」と語ったらしい。生きている人はいろんな翻心をする。いったい次の瞬間何を考えているかわからない。だが、死人に口なし。死ねばその人の言動はすっきり整理されて、枝葉末節を切り落とされたものとして残る。ならばカート・コバーンだってもっとふてぶてしく80歳を過ぎても生きるべきだったのだ。音楽がイヤなら引退するなりして。大江健三郎の言葉で言えば「宙返り」して、他人を尻目に生きていてほしかった。「伝説」になるには早すぎる。

カッコつけたことばかり書いてしまっていることを反省する。実を言うとこのパソコンが末期を迎えているらしい。それはまあしょうがない。何事にも終わりはあるからだ。このパソコンとの付き合いも長かった。一時期、私はシェアハウスで暮らしていたこともある。40代の初めだっただろうか。その後グループホームへの入居の誘いを受けて、姫路市の福祉システムを利用できないかと試みて……結局今は宍粟市に落ち着いているわけだが、宍粟市としてもこんな発達障害者を受け容れることは恐らく「冒険」だったのではないか。そんな風に私はずっと「道なき道」を歩いてきたとも言えるわけで、そうした困難な道をこのパソコンはずっと伴走してくれたわけだ。実にありがたい。かつては「困ったら親を頼ればいいか」と思っていたが、そんなこともできないだろう。というか、してはいけないとも思うようになった。やれるだけのことをやろう。

そう言えば、私の記憶はあやふやなのだけれど村上春樹がマイケル・ギルモアのノンフィクション『心臓を貫かれて』を翻訳して発表したのもこの時期ではなかっただろうか。あのノンフィクションは実に読みごたえがあった。ニルヴァーナのアンプラグド盤を聴きながら、あのノンフィクションを熟読したことを思い出せる。この時期だから読み返してみたいとも思う。人間、ポジティブなままではいられない。時には心の底からネガティブな感情に浸ることも心を鍛えてくれる経験になりうるだろう。あるいはカポーティの『冷血』や沢木耕太郎の骨太のノンフィクションを読んでみるのもいいかもしれない。来月はいよいよ村上春樹の新作が出るということなので、それまで「春樹づくし」で『心臓を貫かれて』を読み『アンダーグラウンド』を読むというプランに心動かされるものを感じる。

夜、英会話教室に行く。そこで今日は2人のネイティブの先生たちから、彼女たちが「ガイジン」としてどう日本の田舎で暮らしているかを教わる。そしてアメリカと日本の「田舎生活」の相違について。「ガイジン」として生きるのは大変なことだ、と改めてこのレッスンで教えられた。外見から彼女たちはすでに他人と違っているので「他者」として常に周囲から奇異の目で見られて、好奇心を向けられる対象になってしまっている。田舎は保守的な空気があるからそうした「他者」には住みにくいところもあるだろうなと思う。ところで、私の友だちがLINEで英会話教室の参加者をつなげるグループを作られたみたいで、私も登録させてもらった。来週はいよいよ英会話教室もファイナルなのでお菓子でも持参しようか。ダイソーかイオンに行って……それにしてもLINEは実に「国民的」なアプリとなっているのだなと唸った。