跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/10 BGM: Cream - White Room

今日は遅番だった。朝、例によって陰鬱な気持ちになる。その気持ちから一旦は逃れることを考えた。ルー・リード「Walk On The Wild Side」を聴いたり安岡章太郎を読んだりして……でも、結局逃げることができないことを思い知り、しょうがないので再びマイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』を読み始めた。この本としばらく向き合って過ごすことになる予感がする。『心臓を貫かれて』は、知られるようにアメリカの殺人鬼ゲイリー・ギルモアについてその弟である著者が綴ったノンフィクションなのだけれど実に切実な、中島義道言うところの「血の言葉」で書かれたヘヴィネスを感じる。大学生の頃に読んで以来、陰鬱な気持ちに陥った時に私はこの本に頼ってきた。このような本を翻訳したというだけで村上春樹は私の中で偉大な作家としてあり続ける。

何もかもが間違った方向に向かってしまったのはいつからだろう? マイケル・ギルモアはこの本の中でそのように問う。この問いを自分なりに消化しないとこの本は読めないと思って、私も少し考えた。相変わらずニルヴァーナの『アンプラグド』を聴きながら。私が思い出すのは数々の不幸な人々、殺人によってしか自らの魂を癒やし得なかった人々だった。加藤智大、麻原彰晃宮崎勤……そしておこがましいが、私もまたある意味では不幸な人生を歩んできた。だが、私は殺人者にはならなかった。そのことについて考えてしまう。どうして私は誰も殺さないで今まで生きてこられたのか。そんなこと当然だ、と言われればそれまでだが……ただ単に「殺人は悪だから」というだけでは足りないだろう。多分殺人が合法化されても私は人を殺すことはしないと思う。でも、それはなぜなのか。

自分の人生が間違った方向に転がり始めたのはいつからか。それは食い止められたのか……マイケル・ギルモアは執拗にそう問う。この骨太のノンフィクションを書くことで、彼は自分自身のルーツを辿ることと根源的な「なぜ殺人は悪なのか」という問いに答えることを試みている。そうしたことができるのは文学の力、もっと言えば書くことそのものに内包された力ゆえのことだろう。書くことが自己救済として有益なのかどうか、議論の余地はあるかもしれない。でも、私はこの本やニルヴァーナの音楽によって救われたことを覚えている。その意味で私にとってこの本は特別なものであり続ける。ノンフィクションをもっと読みたくなってきた。まずは最近文庫化された『エデュケーション』を読むか、春樹の『アンダーグラウンド』を読むのも面白そうだ。

今日はジョブコーチとの面談があった。その方から、私の仕事だけではなく生活そのものを支える支援に入ることもジョブコーチの仕事であると教わる。常日頃から私が感じ続けている悩みに親身に相談に乗って下さり、金銭管理について節約術を教えて下さった。やってみようと思う。Facebookの更新時刻からわかるように、ここ最近不眠に悩まされていたのでそのことも話す。土台となる自分の生活がしっかりしていてこそ仕事もできるということで、月曜日の通院の際に話すことを考える。ああ、改めて自分は1人ではないと思った……日曜日はピクニックパーティーに参加する予定もあるし、自分の交友関係も賑わいを見せている。適度に休むことに気を配りながら、堅実にやれるだけのことをやろうと思った。凡事徹底。英語でメモを書くという「誰でもできる」ことを徹底してこなして、日々の修練に励もうと。