跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/24 BGM: Denki Groove - Shangri-La

今日は遅番だった。朝、ひどく混乱してしまう。いつものことなのだけれど、今日はそれが身体にも障ったようで吐き気を感じてしまい、焦ってしまった。だがどんな時も私は「凡事徹底」「できるだけのことをやる」という気持ちで物事に接したいと思っている。いつもやっていることをやる。今日もそうした逃げ出したいという気持ちを抑えてともかくもグループホームを出た。図書館に行き本を2冊借りる。その後いつものように読書タイムに入る。今日はマイケル・ベリーの『「武漢日記」が消された日』を読んだ。実を言うと以前にこの本が扱っている(タイトルにもある)方方『武漢日記』は読んだことがあり、面白いし意義深い本だとも思っていた。その『武漢日記』について中国語を英語に翻訳した立場の人物から記した本とあり、これもまた興味を惹かれてデペッシュ・モード『101』を聴きつつ読んでみた。

方方『武漢日記』は、そのタイトルが示す通りコロナ禍で混沌とした武漢から届けられた「日記」という体裁を採っている。それゆえに日々の記録が実にヴィヴィッドに「ナマ」の状態で届けられ、臨場感あふれる本となっていたと記憶している(読み返さないと確かなことが言えないのが私の情けないところである)。そしてその生々しさ、検閲システムにめげずに執筆された反骨精神あふれる記録ゆえに中国のネットで問題視された「日記」でもあった。その日記を英訳した著者マイケル・ベリーは、その仕事が元でさまざまなネットでの嫌がらせに巻き込まれることになる。中傷するコメントを数多くぶつけられ、件の日記も捏造ではないかとかこのタイミングで刊行するのは政治的に裏があるのではないかとか、そういった陰謀論に凝り固まった人々によって口汚く攻撃されることになったのだ。

マイケル・ベリーには申し訳ない言い草になってしまうのだが、私はこのノンフィクションに非常に強く惹き込まれてしまった。文字通り読む手が止まらなかった。陰謀論や「白か黒か」思考に染まったネットの言論(そこにあるのは徹底した「異論への不寛容」だ)、そしてフェイクニュース……そんなカオスと化したネットのリアルな姿がこの本を通して見えてくる。いや、私自身だってそんなカオスに「染まる」こともあるのでエラそうには言えない(陰謀論からは距離を置いているつもりだが、いざとなるとどうなるかわからない)。私もネットの風潮に染まって過去にずいぶん軽薄な行動を取ったこともある。それゆえにこの本からは改めて冷徹に行動すること、「流されない」ことの大事さを知った。あとは他者への寛容さをどう保つか。その意味でこの本の味は実にビターだ。

そんなこんなで本を読んだ後、その感想をソーシャルメディアに書き込む。ここ最近は本のことばかり書きすぎているとも思うが、本を読むとおしゃべりになってしまうのも私の悪いクセなのだった。今朝吐き気を感じたことも忘れてあれこれメモを書いてしまったり、インスタグラムに件の本の写真を投稿したり。まったくゲンキンというか、我ながらイージーな人間というか。子どもの頃からずっと続けてきた読書が今の自分を作り上げており、ゆえに自分は読書を通してスローモーションであれこれ静かに考えてそれをアウトプットするのが性分なのだろうな、と思ってしまう。でも、ならばその道を歩みたいとも思う。ネットでキーボードを通して「ファイター」として敵対勢力を攻撃するために生きる、なんてのは私の生き方とは違う。自分の内なる声を探りながら不器用に歩いていきたい、と思った。